不眠と惰眠

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春なので気分がとてもいい。気がする。肌寒いのは好きではないので最近はあったかくていい日々だ。最近、夏に向けての予定をどうするとか、少し先の話をすることが増えた、ここ最近では一番未来の話をしている気がする。

いろんなことに興味を持てる環境になったのは単純に気持ちが開いているからなのかもしれない。

わからないけれども。

ただ、最近それに関係しているのか無関係なのかは自分では判断できないが、ともかく仕事が苦痛で仕方ない。まるで興味もないし、御多分に洩れず、未来の話をすることが多いのは仕事もおんなじで、来年に向けての種まきの話をしているのだが、半ば白目で聞いている。

というか何も聞いていない。どうしよう、こんなに興味も持てず、やる気もなく、どうでもよくて、苦痛になっている時期は本当になかったと思えるくらいに、心の底からどうでもよくなってしまった。

 

ただ、私が一番恐れているのが、たいして理由なんてなくて。私の勝手な怠心が生み出した思い込みにより、この状況を生み出しているのではないかと思うところがなきにしもあらずなのではないかと思っていること。

ややこしい言い方をしてしまったが、私が何に対しても面倒臭いと感じている。それが単純に仕事に向いている(原因は仕事ではないのに!)。仕事の種類や、やっている業務には関係なく、それがたとえ自分にとって有益であったとしても、ただ気づくことはない。

なぜなら単純に全てに興味が持てない、業務内容などに関係なく、個人的な気持ちに左右されているだけで、この仕事自体に興味が持てないのではなく、仕事を含む他全てにおいて興味が持てていないというのに、仕事のせいだと勘違いをした状態ではないのか。その怠慢な気持ちを引きずってこのまま継続していても人生を削り取るばかりなのではないか、この人たちの下で延々と時間を過ごしていくことをよしとしないこの気持ちは、自分の単純な怠慢ではないか。

このまま永久に眠っていたいと思ってしまうこの気持ちが他の形で頭をもたげている結果であり、私が考えるべき、自分の将来を検討するには土台としてふさわしくないのではないか、そう考えてしまう部分がある。

むしろ仕事なんてなんだって一緒なんじゃないのかと思ってしまうことがあった。それくらい私はいろんなことに嫌気がさしており、まるで何もかもを失った状態となっていたから。

ともかく、落ち込んでいた時には自分の正当性や正確な判断ができているという確信からはかなり遠い場所にいて、自分のことがあまり信じることができない。私は本当は自分がどうしていきたいのかを知っているのかを知らないし、自分のことがあまりにもよくわかっていないことにも改めて気づいてしまった。

自分が好きなものは知っているつもりだったけど、仕事は生活の中心としてかなりの時間を費やしていながら、それに対して、好きな業務、嫌いな業務、好きな作業、などの振り分けなどがあまりにも興味を持てなさすぎて実施していない。そのくらいに私は自分のやっていることに興味がなく、それに対して反応している自分の気持ちについては驚くほど、気づいていない。気づいてしまったら、どうにもならないところへ行ってしまうのではないかという恐れがあるからとも言える。

なぜ、こんなことに時間を費やしているのか?なぜこの人に気を遣って生きていく必要があるのか?胸中で毎日毒づきながら、ヘラヘラしていることにどういった意味があるのか?そんなことを冷静に分析したって、きっといい結果など生み出さない。単純に冷えた目で普段のオフィスにいる自分を俯瞰して、鼻で笑うくらいだろう。

それでも私は、突然、好きなもの、好きなこと、嫌いなこと、嫌いなもの、楽しいこと、やりたくないこと、好きな作業、嫌いな作業、居心地のいい場所、快適と感じるところ…なんてことをコソコソノートに書き写してみた。特に全くそれ自体は私を知る上で有益なのかはよくわからなかったが、そんなことをこれまでにしたことがないから、あまりにも意味がある作業に思えなかった。

 

こんな上っ面の言葉の羅列ではなく、本当にもっと考えた、自分が思っていること、いつも感じている何かを書き出すことができれば、もっといいのではないかと思ってはいるが、自分を考える習慣がないために、いまいち何も感じ取れない。基本的に私はいつも考え事をしているが、これからのことだったり、仕事のこと、この後の進め方、今日の買い物、献立、そんなことを考えているが、それに対して、自分がどう思っているのかについては、面倒臭いとか、嫌だなーとか、仕方ない、などのとても簡単な片手にすっぽりおさまる程度のことしか考えていない。

さっきの言い分はなんだとか、もっと上手く言えたのではないか、この話になったら、こう切り替えそうなどは考えて進めているが、自分の気持ちに焦点を当てることなんていつからしていないのだろうかと思ってしまった。私は悲しいのだ、嬉しいのだ、感動しているのだ、そう素直に感じて過ごす時間が生活の中でどれほど少なくなっているのかに改めて気づいてしまった。

誰かと話をしてリラックスできたり、一緒にいることが本当に楽しかったり、笑い合っている時に幸せを感じる瞬間をもたらしてくれる人とずっと一緒にいたいものだなあなんて当たり前のことを考えていた。

去年の私は転職を真剣に考えたが、次に働くところを想像することができなかった。だって仕事なんて何もしたくなかったからだ。でも今は違う。本気で転職することしかもはや考えていない。きっと向いているし、私が上司へ言うタイミングはもう、今しかないと思っている。我慢の限界でもあるし、このやる気のない状態で、業務を継続することは精神衛生上よくないと思っている。業務時間を大幅に減少させて、体力的には温存しているし、プライベートな時間を確保しているが、それでも眠れず、なかなか浮上できない。

眠れないか、寝落ちかのどっちかしか選択肢がないのはどうしてなんだろう。