音楽を聴く場所

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奈良にはNEVERLANDというライヴハウスがあって、私は時々行っていた。

用もなく行くことはないし、観たいライヴじゃない限り行かないのだけど、LOSTAGEのホームということもあり、結構たくさんのライヴを観たと思う。

ドネーションに参加したティシャツが届いた。夏なので白にしたけど、黒でもよかったかな、でも可愛い。

 

ドリンクチケットも付いていたので、次の機会が一体いつになるのかわからないけれど、行った時には使いたいなと思う。

 

最近、配信ライヴにお金を支払うことができるようになって、昨日スカムパークも開催されていた。もし、本当に行けるなら行きたかったと思う。開催は東京だけど、遠方からでも観ることはできるので、それもいいかなと思ったけど、時間的に難しく、参加しなかった。

それに、配信にお金を払うことにいまだ寄付以外の気持ちになれないのは事実で。

ライヴじゃないところにしっかり楽しみ方を見出すことができれば、実際のライヴより金額も下げてあって、交通費もかからず、楽しめるのだろうなと思うが、私にはまだ配信の楽しみ方がわからない。ライヴDVDを観ることもあるにはあるが、ライヴを楽しんでいるつもりで観ているわけではない。

顔がよく見えるとか、こんな感じだったなーと思って観ているだけだ。私がライヴで味わったものがそこにあるわけではないし、配信している側も、同様のものを届けるつもりなのかはよくわからない。

ただ、配信でも無料ではなくなったことについては仕組みとしていいことなのかもしれないなと思う。今後も活動を続けてほしいと思う人のライヴであればチケットを購入して配信を観ることもあるだろうなと思っている。

でも、私が好きだったライヴが今後開催されなくなるなら、多分これまでのように音楽を聴くことはなくなるのだろうなと思う。

ライヴあっての音源と思っているし、最近は全くライヴがなく音源だけの生活になっているので、聴いている曲がポップに変化している。音源だけで完成している感じがするからなのか、家にあるスピーカーとの相性の問題なのかもしれないが。それに家で仕事したり、掃除したり、料理中に聴く音楽はポップの方が何やら相性がいいように感じる。

 

多分だけど。

 

 

 

 

 

時間の使い方

断捨離をしようとしたわけではなく、引越しを想定して持ち物の整理を行なっている。

私が手放すものは古くなったから買い換えるもの。それからもう必要ないもの、それに細々したなんやかや。

 

この世には、と言うか私の部屋にはいらないものが割とたくさんあった。対象物を手に取って、それにまつわる思い出なんてものが手の平から湧き上がってくる。それがニヤニヤしちゃう思い出の時もあるし、切ない時だってある。それから、本当になんの意味も見出せないこともある。乾いた気持ちでゴミ袋に入って行ってもう、戻ることはない。

 

手動のシュレッダーで45Lのゴミ袋2つ分の書類を裁断して、腕がもげそうだ。給与明細を入社した頃の驚くほどの安月給の頃から最近の安月給まで裁断しながら、無意識に転職を夢想していた。でも今はその時ではない。シュレッダーをしてゴミ袋を放り出すことだけに専念した。

箱の中にはまだ、手放していないCDがある。もう基本的に聴かないし、いらないものだけをピックアップして放り込んだ。曲にも思い入れがあるものだ。本もCDもいらないと判断したものは箱に詰めて送ることにした。

 

なんだかスカスカのキャビネットやクローゼットを見て、スッキリした気分になった。

私はよく朝寝坊の時に見る、クローゼットの前に立ち、今日は何を着ようかな?と思いながらびっしり着たい服ばっかりのクローゼットを眺める夢を見る。

ハッと我に帰ると二度寝していて、私のクローゼットなんて一応の服は入っているものの、着ていくものが何もない。毎朝絶望の淵に立っている。壊滅的な有様。

私にとっては買い物は修行となることも多いので、そんなにたくさん服を買うことはない。でも一応仕事をしているので服を季節に合わせて買わなきゃやっていけないのである。

ジャケットのインナーに着るのに最適。とか思って、ちっとも好きではないアホみたいなカットソーを買う気分がどれほど憂鬱か、想像がつくだろう。

そうやって服を買うことから喜びを手放していく。誰の金で買うと思ってんだろう。アホらしい。

 

 

最近、BANANA FISHというアニメをみた。ギャングとマフィアの抗争、国家と軍の陰謀にドラッグが関わっていて、住む世界の違う少年たちの友情の話だ。AKIRAにも少し通じるかもしれない。

舞台はNYで、アメリカ人の少年アッシュの周りにいる大人は大抵、巨大な権力を持った小児性愛者の変態で、日本の一般的な中流家庭に育った少年エイジとの友情に助けを求めている。それくらい救いようのない悲しい生い立ちの話だったりする。

原作は結構昔の少女漫画らしいが、読んだことはない。でもアニメはそんなに昔に作られたものではなさそうだった。スマホとかタブレットを駆使しているシーンがあるから。

アッシュはギャングのボスで、いいこに育ったエイジが彼の孤独を癒しているというもの。友情であるものの、自分にだけ心を許す、という行がおそらくいいのだろうなと思う。

アニメは最後まで見たのだが、もの哀しい話。ギャングやマフィアの映画にも共通するが、いつも哀しい終わりを迎える。犯罪に手を染めた人間がハッピーエンドを迎えることは、あまりよくないのだろう。本当は最後には幸せな人生だったとにっこり笑って目を閉じる人間だっているのだろうけど。

 

私が一番嫌いなGWが終わろうとしている。なぜ嫌いかは、世間の連休と天気に恵まれ人混みが増大し、仕事が非常に忙しくなるからだ。それに繁忙期にあたるし、その上月初でもある。変な曜日合わせの時もあるし、とにかく忙しいので、GWは毎年憂鬱だった。今年はコロナの影響で例年のような事態にはならず、心穏やかに過ごした。

こんなGWは学生以来だと思う。本来大好きな5月だが、GWのせいでいつもぶち壊しだった。でも今年は状況が違う。精神衛生上私は快適に過ごせたのだ。私にとっては人のいない街はそれほど苦痛ではない。少なくとも今の私にとって。だけど。

 

 

現実逃避に映画を見たり、アニメを見て詳しくなった気になっている。と言っても見たアニメは鬼滅の刃とバナナフィッシュだけだけど。でもともかく強い人間が困難に立ち向かい更に強くなって友情を育み、大切なものを守るという、少年漫画の鉄板みたいなものは、ともかく気分がいい。

 

現実逃避にうってつけだ。

 

ネオ東京

AKIRAを観たことがあるだろうか。

 

子供の時に、2回ほど見た。大人になってからも2回ほど見た。大人になってから見たときには、こんなに昔のアニメなのに。とちょっとショックでもあった。昔の映像ってぼやっとしていて、なんかもっさりしている印象なんだけども。これはそういったことがない。

 

AKIRAって一体どんな話なのかと聞かれたら、2020年の東京オリンピックを目前に控えたネオ東京での話だと答える。今年の話ですね。金田と鉄雄は不良少年で、人類がまだ扱い方のわかっていないAKIRAという兵器のもろもろに巻き込まれ、抜け出せなくなる話。しわしわの子供たちが出てきて、「わあ、血だ」「こわーい」「やなやつ」って言う。

 

「デコ助野郎」より、子供たちのセリフの印象が強かった。このセリフの直前に鉄雄に起きる現象があまりに恐怖すぎて、子供の私には電気を消して眠ることも、少しの明かりで眠ることも恐ろしく感じた。

子供に見せてはいけないシーンのダントツだと思う。ぬいぐるみのくまちゃんが起き上がり、自分のベッドによじ登ってくるなんてホラーすぎる。少なくとも、ベッドの中は安全地帯だと信じていたいのに、いとも簡単に侵略されてしまう。

 

私は少なくとも怖がりなので、基本的に暗闇で眠ることができない。小さい頃は、掛け布団の上に手を出して眠ることも、足を出して眠ることもできなかった。お布団の外は結界の外とでも感じていたのだろう。手を握られる、足を引っ張られると思っていた。壁からニョキッと出てきた腕に引っ張り込まれるとか、想像していたのだ。何かで見たんだろう。

 

カーテンと壁の隙間から見える窓の暗闇が恐ろしくて、全ての窓にかかるカーテンを隙間なく閉めて回った。ホラー映画を一生懸命見ていた時期もあったが、私の生活におよそ関係ないと思えるものしか見れなかった。つまり海外映画だけ見ることができた。日本と似た感じのアジア映画のホラーは何かを想像させたため、見れなかったのである。日本映画なんて、見れたものではない。お風呂も、トイレも、1人の家の中も外も、部屋もリビングもどこもかしこも恐ろしくなる。キッチンや、洗面所、鏡、排水口、クローゼット、車…もう生活どころではない。

 

今は、くまちゃんがよじ登ってくシーンについてはちっとも怖くないとは言い難いが、きちんとアニメ映画と分かっているし、もう大丈夫である。そう思えるには随分時間がかかったな…とはいえ、1人でなければ特に怖くないのである。私は誰かと一緒なら暗闇で寝ることも問題ないし、街灯のない道を歩くのだって、手を繋いでくれればなんとか自分の足で歩くことができる。お化け屋敷だって、しっかり明るさがあればきっと怖くないのだ。ヨドバシとかビックカメラくらいの明るさがあればどこへだって行けるだろう。多分だけど。

 

 AKIRAにはアニメだけではなくマンガが存在する。もっと込み入った話だそうだが、面白いと言われた。映画の何を観るのかってことにも付随すると思うが、私は雰囲気でよかったとか面白くなかったとか言うことがある。その作品のメッセージとか意義なんて私には関係ないのだと本当に思っている。なので、一体どう言う意味の映画かと問われれば、本質を理解なんてしていないのだろうなとは思う。

最近プライムビデオで観たかった映画を検索したが、対象外が多くある。

リッキー(木下理樹 art-school)が最近Twitterを更新して、好きな映画のタイトルを呟いているんだけど、その中で私も観たなとか観たかったなとかを検索しているが、ほとんど対象外だった。

因みにAKIRAも対象外。私はBlu-rayを所持しているので、ただ観ただけだ。

 

 

AKIRA(1) (KCデラックス)

AKIRA(1) (KCデラックス)

 

 

 

 

 

もう以前の生活が薄れつつある。

世間は休業をしている業種が多いし、仕事をしたくともできない状況を強いられている人たちが多くいる。そのため、本来であれば収入につながったはずのものがあてにできず、家賃や人件費、レンタルしている機材などの経費が支払えなくなってしまっているのだ。

 

それって、現状お客様商売の人は大半そういう感じになってきている訳で、出勤が通常通りだとか、自宅待機もさせてもらえないなんて愚痴を言っている私とは温度感が全く違っていた。私はやはり呑気なのだろうか。

 

飲食店の店長をやっている友人はテイクアウトや時短であっても店を開けていようとする。即刻クビになるからで、こんな状況とわかっていても、私にちょっとでも店に顔を出すようにおねがいしてきたりする。勿論私も行って色々話したいことが多くあるのだが、時短営業のため、その時間だとどうしても行けそうにない。会社から公共交通機関を駆使し、徒歩も入れて30分以上かかる。なかなか行くことができない。友達甲斐のない人間だ。困っているだけなのに、何もできない。

 

私はライヴハウスには割と長い期間、通っている方だと思う。初めてライヴハウスへ行ったのは14歳だった。もう何年も前のことだ。私は大人になった気分でメイクをして友達と高校生の振りをした。高校生だって子供だと思うのだが、中学生と高校生では大きく違う。特に私のような田舎者の中学生なんて笑えるくらい子供くさい。

 

私は音楽が大好きだったし、ライヴハウスで観るライヴが大好きだ。クラスターなんて言われて、吊し上げにあったかの様なライヴハウスに同情したし、コロナが終息しても残っていて欲しいと思っている。今、結構数多くのドネーションクラウドファンディングが始まっている。Twitterを見ていれば数多くの物が目に入る。知ってしまったら、なんとかしたいと思うだろうし、でも、なんともできないこともあるでしょう。だって私の金銭などたかがしれている。私だって生きていかないといけない。

思い入れのあるライヴハウス、好きな場所、残っていて欲しいところ。タイミングが合えば、できることが合えば、それでいいと思う。とlostage の五味さんが言っていた。金銭的な何か以外でもできることはあるはずやからと。何もできないことに罪悪感を覚える必要はないと言ってくれたのだ。

本当に残したいし、何かできることがあるならしたいけれど、確かに限りがあり過ぎる。私は行くはずで行けなかったライヴのチケット代くらいは参加しようと思った。これが一体どのくらいの寿命を引き延ばすのかはわからないし、なんの役にも立たないかもしれない。とも思う。

好きなライヴハウスは割とある。また行きたいところも。残っていて欲しいところも。全部に参加できないけれど、なんとかなって欲しいと思う。私は随分ライヴハウスに行ったし、そこで楽しい思いをしたし、色んな音楽に出会ったし、私こそ還元するべき人間だと思う。今まで享受した何かに。勿論、それは享受したものの代償は既に支払っているとは思っている。ちゃんとお金を支払ったのだから。でも、それ以上に受け取ったものも多い。

 

またライヴへ行きたいなあ、昔ライヴハウスでバイトしたかったなあ。とはいえ、うちは田舎だったので、勤務時間の最後まで残ること自体が困難だったのだけど。もし、私がバイトでも許されるような年齢だったら、ライヴハウスでバイトしたいって思っているな、きっと。

 

こんな状況が続いて、配信でなんでもまかなえるような時が来てしまったとしても、ライヴで体感できる場所はきっと残っていて欲しいと思う。

不謹慎だとは思うけど、私も休業手当とか有給とか使って休みたい。連休をとって、おうちでゆっくり休みたい。

仕事帰りにいつものようにスーパーに行くと、いつもよりもたくさんの人がいて、レジに列を作っていて、本当に嫌になる。スーパーやコンビニはこの時期、私の大切なランチとなるのだが、本当に大変だろうなと思う。彼らも本当は休みたいはず。でもお休みをされると途端に私の生活は崩壊する。

お店の営業状況は元旦とほぼ同じだと思う。梅田の道を走る車が非常に少ないことに驚く。日中走り回っていた車はみんなお仕事だったのだねと思う。

元どおりになったりはしないと思うけれど、普通に旅行したり、ご飯を食べて、みんなで話して楽しい時間を過ごしたい。一緒にライヴを楽しむとか、映画を見てから、飲みに行くとか。そんな普通の日常が戻ってきたらいいなと思う。

それが冬とかだったら萎えるけど。インフルとノロに怯えて、コロナにも怯えて暮らすのかと思うと、ちょっとね。

松田龍平の映画を観る

ライヴがないことと、ジムに行けないことで確かに時間ができたはずなんだけど。

ここ最近のコロナの対応のせいで、時間が全くなくなってしまった。自宅待機なんてできないくらい普通に会社へ行き、余分な対応が増加したせいで残業をしている。

それにもうみんなピリピリしちゃって、かけてくる電話が既に怒りモードである。

いやいや、そんなテンションでかけてこられても私はついていけないのです。

 

お陰で、やっときたお休みに何にもやる気が起きなくて、Amazonプライムを観ている。

順に松田龍平の映画を観ている。以前観ることができていなかった映画を観たり、以前好きだった映画をも一度観ている。

探偵はBARにいる3、死人の恋わずらい、青い春、同期、麦子さんと、モヒカン故郷へ帰る、ジヌよさらば、ボーイズオンザラン、昭和歌謡大全集とか。本当はもっと観たい映画があったけれど、プライム対象ではないので、観ることはできない。残念。

大体どれもかっこいいんだな、この人。でも昔観て、松田龍平を好きになったきっかけの青い春を見返して、以前ほど、くるものがなかったんだけど、映画も音楽も一緒なんだなと思った。最初の印象が一番強烈だ。

青い春は映画自体が好きだった。強烈な印象が残ったし、ミッシェルの音楽と相まって、感動的だった。ラストに近づくにつれての青木とか。

確かにかっこいい役ではあるが、大人になってからの方がかっこいい。それは当然か。好きな映画といえば昭和歌謡大全集を今見返しているが、この時はそんなにかっこいい感じがないくらい子供っぽい。どっちかといえば、ラストが一番良い。

 

まあ良い。私が言いたいのは映画のことじゃない。なんで私が休みごとにやらなきゃならないことが沢山あるのに、映画ばっかり観ているかってことだ。理由はただ一つ。疲れているからだ。

残業をし、イライラした人たちに申し開きをし、ともかく疲れているし、真夜中にいちいち愚痴を言うために誰かの時間を奪うこともできないから、松田龍平を観ているのだ。好きな俳優は他にもいるが、観たい人は他にいないわけだ。俗に言う癒し効果という感じか。喋り方とか声とか歩き方が良いなといつも思う。もちろん顔もだけど。素敵。

 

それに大量の映画に出ているので、主演クラスか、準主役みたいな映画に限定して観ている。後は、なんとなく観たいやつ。本当は船を編むか、泣き虫しょったんの奇跡か、まほろシリーズを観たかったけど、みれないので、仕方ない。助演俳優に名前がある奴は迷っている。どのくらい出てるんだろうと。ストレスの緩和なので、映画の見方を誤っているとは思うが、許して欲しい。仕方ないのだ、かっこいいから。獣になれない私たちをまとめて見返した頃も同じ状態だった。

 

眠いのに眠れない頭をなんとか落ち着かせるために映画を観ているのだ。でもWiFiがちょっと重い。最近はずっと重い。眠くて眠れない夜に頻繁に観ているから。いちいち重いのでそれには結構イラつく。

 

本当はまたライヴへ行けたら良いのだけど、一体いつになったら行けるんだろう。

 

6月に延期になったGEZANは開催されるかな、もしまだ無理だったら日程未定で延期と言ってくれるだろうか。

DVDを買ってやっと観た。映画館で観た時とは全然違うけど、音の体感と映像の大きさとで飲み込まれる感じは自宅の平凡サイズよりも小さめな家のTVでは味わえないものだ。でもやっぱりちょっとだけ乾いた空気を感じる。悲しいことが多い。

ライヴに行かない日々が徐々に日常となっていく。ジムに行かない日々が当たり前に感じるように。音源だけを聴いている音楽が私はそんなに好きじゃないのかもしれないなんて思う。ライヴハウスが今後も残っていて欲しいと思うし、好きなバンドが残っていて欲しいと思うし、またライヴへ行きたいし、フジにまた行きたいと思う。THE STROKESが来る。

梅雨が明けたら、夏になったら、私たちはライヴへ行っているのだろうか。また真夜中に映画を動画アプリで観ない日々を過ごすのだろうか。体を動かしていないからか、夜更かしも増えた。イライラで疲れているからかもしれない。ビールでも飲んで、気持ちいい空間でゆらゆら良い音楽を聴いて、ニヤニヤ笑っていたいわね。

 

退屈な日々だ。仕事しかしていない。いや、映画を観ているか。抜け殻のような日々。

前のような仕事の仕方がいいとは思わないけど、この状態は勘弁して欲しい。イライラ、ピリピリの伝播だ。疲弊してすり減っていくのがわかる。松田龍平でHPを回復。他にも回復アイテムが見つかったらいいのにな。

 

強制はしないよという姿勢

ライヴが延期や中止になるので、私は2月の奈良であったライヴ以降、ライヴハウスへは行っていない。

3月に行こうと思っていたのはFOALSとCBMDで、どちらも延期になった。

3/18にクアトロで開催予定のGEZANも延期になった。当初はGEZANは予定通りなのではないかと思ったのだけど、政府の自粛延長が理由なのかも知れない。

大阪のライヴハウスでの感染が大きく報じられるなかで、私の会社でもイベント参加自粛の通達が入った。テレワークとかこれまで進まなかったことが進められるのはいいことなのだと思うけれど、イベント自粛の通達は正直私を悩ませた。

多分、GEZANがライヴを開催したら私はマスクをガッチリして参加しただろうと思う。

確かにライヴハウスで感染しやすいのかも知れないが、検査をするように大阪市が呼びかけたためにあの日、ライヴへ行った人たちは全員検査を受けたというだけだと私は思っている。

全員自覚症状があるのかないのか知らないけれど、その辺を歩く私達を無作為に選出し、検査をすれば同じような確率で感染者が出るのではないかと勝手に思っている。でも、通院や入院している人のことを思うと、肺炎というくらいなのだから、呼吸が苦しく、喘鳴がして、激しく咳き込むとか苦しいのだろうし、その辺を平気な顔して闊歩している人たちはやはり健康体なのかも知れないな。闊歩している風に見えるだけで風邪気味の人は確かにいるのだろうけど。

親からもライヴハウスへ行くなと言われた。とはいえライヴハウスが悪いわけではない。完全な吊し上げとしか思えないほどだ。

でももし、私も行っていたとして、それから発症していたとしたら、今日までの行動範囲と誰に会ったとか、どこに行ったとか調査をされて、濃厚接触者を確定されて、オフィスとか取引先とか、会議した相手、打ち合わせの相手、飲みに行った人、サシ飲みで話し合った人とかも検査するようにいわれるのだろうかと考えると、ライヴへ行くのも二の足を踏んでしまう。悲しいけれど。

そしてGEZANは6月に振替公演をやってくれるので、ほっとした。

仕事のこととか周りの人のことを考えるとライヴへ行くのはよくないのではないかと考えることもあったが、いざ親に「しばらく行かないほうがいい」と明言された途端悲しくてちょっと泣きたくなった。そのくらい私は行きたかったことに気づいた。わかった行かない。とはそのとき言うことができなかった。ううう。と言っただけだ。もはや何も言っていないのと同じである。ううう。だなんて。

ライヴ以外にも音楽の楽しみ方は確かに多くあるのは確かなのだけど、ライヴでしか感じられないことも多くあって、そこに行って体感することがどんなに楽しくて、いい時間になることが多いかを考えるとこんなにイベントが中止、延期になってどんな犠牲を払っているのかなと思うと、嫌だなと思う。確かに仕方ないのは仕方ないけど、仕方ないのか。

 

どうでもいいけど、iPhoneのスピーカーとGEZANの相性があまり良くないと思っていて、いつも聴くときはwalk manかBluetoothのスピーカーかイヤホンで聴いている。どうでもいい話。

ライヴへ行きたい。音楽を聴いている時間が異様に増えてしまった。どうかしているのかも知れない。

 

瘡蓋

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奈良へ行ってきた。奈良へ行くのはさほど久々でもないけれども、今年は初めての奈良。

最近冬型で大阪でも寒いのに奈良はめちゃくちゃ寒かった。それに寒い奈良のライヴハウスは中も普通に寒かった。ロッカーとかクロークとかにコートを預けたら後悔する感じ。


EVANS CASTLE HALL

私は初めて行ったのだけど、三条通にできた大きめのライヴハウス。500くらい?大きくてキレイで、トイレも広くて綺麗だった。

何しに行ったかというと、勿論ライヴで、久々にLOSTAGEを観てきた。一体いつぶりなのかはっきりしないくらいぶりに。


以前から薄々わかってはきているが、guitarあたりから、好きな感じから離れてきている。in dreamsではかろうじて、と思ってはいたけれど、時の流れや進む方向で、違ってくるものなのだろう。


聴き慣れたことは本当に大きい。あんなに衝撃を受けたライヴなんてそうそうない。人は慣れるものだから。

今回は4人編成で、ほとんど新曲だった。

ちょっと怪しいのは、最近ライヴでは耳栓をしているので、これまでみたいな聴こえ方にはなっていない。ダイレクトに向かってくる気もしない。

衝撃が音の大きさだなんていうつもりもないけれど。耳栓。どうなんだかな、耳栓。耳の痛みが出ないし、耳栓外すのも怖いんだけど、いい耳栓を買えば解決なのか。


age factoryも出ていたのだけれども、間に合わず。仕事をぐるっと切り上げて急いで向かったけれど、奈良にたどり着くまでに1時間を要する。タイムテーブルは知らなかったが、到着後すぐLOSTAGEが始まった。観れてよかった。


何気にTHA BLUE HERBも初見。全員初見。なんかいつもトラックをメインに聴いていることに気付いたんだけれど、声も時々ちゃんと聴いてみた。

バンドの時はギターをメインに聴いていることも多い。他の人は何を気にして聴いているのだろう。


ライヴ自体が久々で、今は完全に閉じていて、あんまり琴線に触れるようなことがなく、そうならないだろうなって予感もあって、実際そうだった。

楽しかったし、おもしろかったけど、風穴を開けるには何をすればいいのかな。などと思ってしまった。


まるまってしまっていれば、なにも入ってこない。開くためのきっかけは音楽とか、ヨガとか、或いはサーフィンだった気がする。

サーフィンに行く予定はないし、行く気もない。ヨガもこじ開けるには至らないことが多い。音源だけじゃなく、ライヴへ行けば良いと安易に思っていたが忘れていた。閉じている奴には届かないことを。


めちゃくちゃ久々に大和路線で奈良へ行き、奈良から帰ってきた。JRに乗るのも久々。終電があるので、最後まで観れずに帰ってきたけど、帰り道、これも久々でLOSTAGEのechoesを聴いて帰ってきた。


瘡蓋でなんか元気を取り戻した。

ぱっと休みとって、ぱっと旅に出たい。