通りの神秘と憂鬱

気分転換にギャラリーへ行くとか美術館へ行くことはよくあるのだけど、最近は特に行くことがなかった。行きたかったものは気づくと終了してしまっているとか、関西ではなく東京の開催だったりとか。そんなこんなで全然行けていなかった。博物館も大好きだけど。

最近神戸にデ・キリコ展が来ていて、それで久しぶりの平日の休日に観に行くことになった。中学生の時、美術の教科書に載っていた絵が大好きで、ずっと名前を覚えていた。でも絵を観る機会は全然なくて、ようやく観ることができた。

と言っても教科書に載っていた絵は来ていなかったので、観ることはできていない。それでもやっぱりまるで夢の中のような世界だった。

私が教科書で見たのは「通りの神秘と憂鬱」という作品だったようで、夢に見るような景色が見えていて、それで、平面的で、色が綺麗で、線が少なくて、空が印象的でともかく、子供の頃の私はその世界に憧れを持っていたように思う。

今まで見た中の教科書に載っている絵の中で一番好き。って感じだ。

 

それに交流があったらしく、ジャンコクトーの素描も一緒に展示されていた。

昔に京都でジャンコクトー展で観て以降は、観る機会があれば観に行きたいと思っていた。と言っても。京都の次に見たのはマントンにあるジャンコクトー美術館で、それ以降は観ることができていない。それに今回、展示されているなんて知らなかったので、全くの偶然だ。

 

展覧会の最初は人物画からで、自画像とか、奥様の肖像画とかだったが、私の持っていた印象とはまるで違っていた。長い画家人生なのだから、そうなのだとわかっているつもりでも、思っていたものと違うものが垣間見えると、ちょっと驚く。

それに陶芸というか、三次元の創作物を作っていたとか、舞台衣装を手がけていたとかなんて全然知らなかった。二次元が三次元になったさまはなかなか面白かった。情報が急に増加する。最近は写真撮影可能な絵画が数展、展示されていることが多い。

 

確かに絵を見た直後に図録を眺めてみても、直に美術館の光源の下で見た絵画と、紙にプリントされた印刷物とを同列に眺めて考えることは到底できない。わかっている。

クリアファイルは紙でないために、発色も全然違っている。フィルターをかけたくらいに印象が違っている。どっちがいいとかは個人の好みによるだろう。

インスタレーションの場合は、図録も割と相違ないように思う。音や、匂い、動くものは共有できないことは理解した上での写真での記録という思いから購入できるからだ。

でも絵画はそうはいかない。二次元から二次元へ、しかし、絵画は二次元ではない、三次元のものであって、二次元ではないので、完全な二次元の中に再現されているものを見ると、違って見えるのは仕方ないことだ。

その分、装丁は美しく、情報が盛り込まれているものが図録であると思う。ライヴ映像はあくまで映像であって、足を運ぶライヴとは全然別物であることと、同じと言える。

神戸にはいろんな思いがあるが、子供の頃によく家族で訪れていたことを思い出させる。大人になってからも何度も足を運んでいるものの、思い出すのは子供の頃の思い出なのが、なんでなんだろう。子供の頃は親について行っていただけなので、はっきりと場所の記憶はないけれど、だからこそ、突然目に入ってくる懐かしい変わらない風景に、1人、エモさを噛み締める。