フジの季節

驚くほど、ガシガシと頭を撫でられた。普通に大人の女性にするにはガシガシすぎねえか。と思う感じだったが、痛いとかはなくって、心地いい感じではあった。よーしよしよし…そんな感じで愛犬の大型犬をよしよしする時と同じ雰囲気だと思う。

励まされているのはわかったのだが、それにしても…というところで目が覚めた。すごくリアルな感覚で、目が覚める直前だったこともあり、私が自分で自分の頭をなでなでしていたのか?と思ったらキモいな。単純に触覚の記憶が夢で再現されているんだと信じたい。

 

ものすごくストレスを感じていて、心の中だけに収まらなくなっている状態なのだが、不思議と不眠がなくなって眠れるようになった。それに胃痛と腹痛で食欲がなかった時を超えて、驚くほど食べるようになった。ストレス耐性で健康体になってきたのか?それかストレスで過食になるタイプに変わったのかもしれない。

音楽を聴く機会が減って、配信でライヴを見ることも、多くなってきた。配信は本当に配信でしかないし、ライヴのいいところを伝えきれていないというか、享受できていないことをしっかりと認識できている。私は。

直にライヴを観ることと、配信で観ることの一番大きな違いは、体感なのか?音圧なのか、大きな音が鳴る環境ってあんまりない。耳の中で鳴らすことはイヤホンやヘッドフォンでできるけど、全身が大きな音に包まれるのって、車で鳴らすとかスタジオとかになるんかなと思う。自宅でそんなに大きな音を出せる環境の人がいるのかわからないが、ともかく私にはそう言った環境が整っているわけではない。実際に、大きな音が鳴っていても、私は耳栓をしているので、そこまでダイレクトに耳の中に飛び込んでくるものではない。時折、物足りなくて耳栓を外している時もある。

それと、目の前にステージがあって、好きなところを好きに見ていられることも大きい。靴を見るとか、シンバルを眺めるとか、小指を見るとか、なんだって好きに眺めている。靴下とか。

その場の空気感とか、一体感は私にとってはもはやどうでもいい。人がいるとかいないとかは、耳栓している時点であまり問題ではないかなと思ってる。耳栓をしているとマイクを通した音しか聞き取れないからだ。人が笑っているのか、何かを叫んでいるのかなんて聞こえもしない。

でも、フジみたいに非日常の場所や、フェスの場合は、環境が大きく関わっているけど。それでも大きな音に包まれる、かつ、開放感はフェス以外ではあまりないものだと思う。また行きたいなとは思うけど、今誰を見たいのかって言われると、あんまりきちんと探したり、見つけようと思っていないように思う。

ライヴへ行かない日々が増えて、iPhoneのスピーカーで鳴らす程度なので、波の音しか聞いていない私にとっては、音楽を探す行為自体があまりに無意味になってしまった。どんなに探したって、ライヴへ行けるわけではないし、誰も来日なんてしないし。と思ってしまう。

 

さっき大きな音が鳴って、大雨になっていた。でも晴れているからお天気雨。土砂降りで雷鳴が轟いていた。大気が不安定ってやつか。

 

もうやだ。疲れた。もうやめたい。

最近の口癖。そして無意識に帰りたいと思っている。家にいても思っている。どこに帰りたいんだかわからないが、出発前から帰りたいってことなのか、ここではないどこかに帰りたいのか。帰巣本能か?

JONAS BLUEとvampire weekendを見る予定。