2年の歳月

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2年越しのGEZANのライヴで、2年越しの梅田クラブクアトロに行ってきた。

折坂悠太との2マンだった。

私は、このコロナの2年を音楽とともに一緒に生活してきたと思っているが、厳密にはそうではなかったのだなと再確認することになった。

それって私自身も本当はしっかりと理解していたようにも思う。このライヴのなかったこの時期は私はこれまで聴いていただろう音楽とは違った音楽を聴いていたことは理解していたのに、それでも私は音楽のことを軽く考えるようになっていたように思う。

音楽とは何なのだろうと思った。私がこれまで音楽に助けられてきたことは多くあり、音楽に頼って生きてきたことはあり、それに音楽がなくても問題ない時間も多くあることをしっかり理解している。ライヴがないことでオルタナを聴く機会が少なくなったことを実感している。どうしてか?クリアな音源で聴くには正直それほどオルタナが必要と思えなかったからだ。

それにライヴが開催されるのかいつもヒヤヒヤしながら生活をすることになっている。GEZANのライヴも結局当日まで本当に実施されるのか、延期とか中止とか言われるのではないかと思ってしまう日々だった。このライヴも2年前に、クアトロでワンマンが予定されていて、コロナのせいで、延期になり、そして中止になったライヴだ。狂のレコ発だったライヴがもうレコ発ではなくなっている。ワンマンでもないし、それにメンバーも代わっている。本当だったら前メンバーの最終ライヴがあって、新メンバーのお披露目があって…って流れだったのだろうなと思うが、それもできなかった。

音楽を生で見ることにライヴを見ることに、映像ではなく、その場で体感することができなくなって久しい。それくらい貴重なその場で体感できたライヴだった。

以前、騒音性難聴になって、その数年後に突発性難聴になった。それ以来、私は耳栓をしてライヴを観るようになった。怖いからだ。聴こえなくなることが。耳は休まる時間が少ない器官だと聴いたし、もし次に騒音性難聴にもう一度なって、それから聴覚が衰えて、その後に音が聞こえなくなってしまったらと思うととても恐ろしかった。だから私はライヴでも耳を労るように耳栓をしていた。2年越しで見たいくつかのライヴでもきっちり耳栓をしていた。試しに耳栓を外してみたが結局怖くて再び耳栓をしていた。

今回のGEZANはambient redから始まったが、途中から我慢できず片耳の耳栓を外してしまった。左耳を裸にしてみたのだ。左側を露出したのは、ステージに向かって右側にいたので、スピーカーが右側にあったからだ。blue hourで結局両方の耳栓を外してしまった。私はまさか聞けるとは思っていなかった。現在をトライバル期と名付けるなら、この辺りはキラキラ期と言えると思う。ちょうどnever endrollのあたり?

extacy/AGEHA/soul material/東京/待夢/蒼白のとおく/absolutely imagination

 

こんな感じだった。待夢はまさか聴けるとは思っていなかったのだけど、ちょっと曲変えていい?って感じで待夢をやってくれたので、本当は何だったのかはわからないけど、まさかの感じで、あの時の、東京でみたあの時の気持ちが蘇ってきて、全感覚祭に感じたものも一緒に湧き上がってきた。音楽にはこれがある。というか、GEZANにはこれがあるのだと思わせてくれた。

何度も、本当に好きだと思って、噛み締めた夜だった。2年越しのライヴは待って待って待ち望んだ日々を軽く越え、ライヴのない日々を当たり前に感じて生きている私からも音楽に求めていたものを思い出させてくれた。本当は奈良neverlandのLOSTAGEとの2マンに行きたかったけど、仕事の関係でどうしても行けない。残念でならない。あっという間にソールドしていた。行ける人は満喫してほしい。何もかもを満喫してほしいなと思う。どっちも、全部も何もかも。