いつも背骨を叩いてくれていた存在

興味とか、自分が持っているようなこだわりとか、そういったものが突然どこかに消える事があるってことをこれまで生きてきて、幾度か経験している。

例えば、私は以前喫煙者だったが、今はタバコなんて欲しいと思うことも無くなった。禁煙に際し、一旦できなかった時もあったが、最終的にはすんなりと辞めて、特に苦痛もなく、大した変化もなく辞めて、もう何年も経過した。

禁煙に際し、一番楽なのはタバコのことを忘れることだ。とはいえ、忘れようとして忘れることなんて大抵できないので、結果として忘れてしまうくらいに他の事が強烈であれば難なく忘れる事ができるというものだ。私は当時、好きな人とお別れしたことで、2週間ほどは泣いて過ごし、食欲をなくし、腹痛に悩まされ、お腹を壊して過ごした。仕事では普通に過ごしていたが、会社からの帰り道で泣き出してしまったほど、精神的にやられていて、タバコなんて吸ったら体を壊してしまいそうで、吸うこともできず、結果的にタバコから私を解放することとなった。

その後も、タバコを吸う機会があったが、特に吸いたくもならず、一口吸った後に、やっぱり必要ではないなと感じた。

自分の生活から必要にならなくなったもの、完全に理解してしまったものとかを飽きた。と判断して生活から締め出すのではないかと思っている。

これまで、何度も夢中になって好きで、毎日のように聴いていた音楽に突然飽きて、聞かなくなるという事があった。いつも音楽を聴いていたので、生活に密着しているだけで、読んでいる本とか、好きな漫画、映画、食べ物なんでもそうだけど、突然お別れを迎えることもたくさんあった。

洋服とか自分に突然似合わなくなったと感じる事があるが、あれってなんだろう?髪型を変えたとかなら理解できるけど、なんか突然、違うと思う。まるで明かりがつくように。

 

そんな感じで、また、私は新たに自分の生活の中から突然、締め出してしまったものがある。嫌いになったとかではなくて、興味を失った。が一番近い。

好きだった期間が長いと、もしかして?また再開する?と思っていることも多いが、いつも大体そうはならない。私の直感は正しい。

 

見える景色が変わる、考えることが変わる、考え方が変わることで興味や時間の使い方を再考するようになって、それから変化が起きたのかもしれない。あとは、徐々に変化していたが、自分の変化に疎く気づけなかったことが、突然露呈したとも言える。

 

それは、物悲しくもあり、色褪せたカケラのようでもあり、興味を削がれた抜け殻のようでもあり、愛着のある哀愁のようなものでもある。ただ、そこには懐かしんで愛でる事が正解でないようなほどの強烈な思い出と、恥ずかしくなるような、自分の気持ちが残っていて、ちょっと扱いに困ってしまうほど。

私の興味対象からは外れてしまったけれど、早速生活の中から完全に排除するわけではない。しばらく、日の目を見ない感じに放置され、燻され、熟成されて、ある時、香ばしい匂いをさせてここから出て行くのだろうなと思う。

それは、いつ頃になるのかはまだわからないけど。