物の形

最近忙しくって…というのは決して嘘なんかではないし、いつまでも頭の中でスケジュールをこねくりまわし、さっき言われた言葉に対して、本当はもっとうまい返しがあったのではなかったのか、なんてことを考えてみたり。

本当は何を聞きたかったのだろうか、きちんと私は汲み取れていたのだろうかなんて、果てしない検証をして見せて(脳内で)とはいえ、実際に取引先に私の対応はOKでしたかね?なんて聞けるわけでもないので、脳内検証は、ほとんどなんの役にも立たないのであった。

そんな時間を費やしているから、私にはあまり時間がない。考えすぎるんです、という人が確かにいるが、面接対応をしていると考えすぎてしまって…という人がいて、そうだね、わかるよ、とも思う。

本来、私は熟考することに向いているとは思っていない。考えることが嫌いではない、いつも何かしら考えているし、頭のネジをゆるめろと言われたこともあった。とはいえ、理路整然と考えがまとまっていくようなものではない。とっ散らかっている。その中で、突然、正解のような、正解と思わしきものがピカーンと光って、それ以外に何も考えることができなくなる。可能性を考えて、色んな道を探っていたら、最後の景色まで見える道はここしかないように思える瞬間がやってくる。そうなれば、私はこれ以外に何も見えなくなるし、途中まで考えていたことなんてまるで何もなかったかのように、スコーンと忘れてしまっている。

まるで、本当に正解であるかのように。正解なんてないだろうと分かっているのだけど。

熟考と即決の間には何があるのだろうかと思う。私は人の考えに左右されることが嫌いなので、自分自身のことは基本的に誰にも相談せずに直感で決めることにしている。

でも仕事のことは自分の常識とか感覚を全く信じていないので、人に相談しまくって、ともかくおかしな人に見えないように、上手く世間を渡っている人のふりをするために、小心者でビクビクしながら生活をしている。

私は昔から少し変な人と言われることがあった。とはいえ、私は人からいじられるのはあまり好きではなかったので、独特な人と言われていることがあった。人によっては面白がってくれたし、人から可愛がられることも多かった。全て年上の方がいたから私は生きて来れたと思っている。

私は自分の常識的感覚において自信がまるでない。こういうときに人は、こういう対応をすると感じが良いのかと、他の人をみて学んだものだ。もちろん大人になってから。

子供の頃は、子供というのは、人によって定義が違うと思うけれど、私のいう子供っていうのは、法定年齢的なことを指しているので、10代は丸ごと子供と定義している。

成人するまでは、嘘だな、嘘ついた。ユース料金が通るまでは(24歳まで)常識なんていらないものなのだと本気で思っていた。そのくらい私は自分の人生を生きる感覚が乏しかったのだろうと思う。そのうち、本当の人生が始められるくらいに思っていたのかもしれない。

わかんないけど、それまでに付き合った人もいたし、なんとなく結婚の話になったときにも、私は本当にこの人の頭がおかしいのかもしれないと思っていた。私はこのまま、この片田舎で何もできず、どこへも行かないまま結婚なんてしてどうやって生きていくのだろうと思ったのである。

お金も手にしていない、なんも観ていない、何もやっていないのに?

ユース料金で通じる年までに私はヨーロッパを2度放浪してきた。私は死ぬまでにロンドンへ行きたかったし、旅人のように生きていたかった。旅は本来自由なものだと信じていたが、旅人は決して自由などではない。私は知っている、生きている限り、有限であり、不自由であり、自分を縛るものは自分がそこにいるだけで存在しているのだということを。

アバウトアボーイという小説を知っているだろうか、結構昔の本で、ニックホーンビィの著書だ。ロンドンに住む少年がいて、30代の男性がいて、生きていく話だ。ざっくりしているし、ちょっと違うかもしれない。少年はいじめられていた、少しおかしいと言われて、確かに服装もちょっと変わっていたのだろう、シングルマザーの彼の母親はヒッピーで少しスピリチュアルで精神的に脆かった。そして、30代の男性は生きるために仕事をする必要のない人生で、表面的にとても上手く生きていた。そんな感じ。その小説にあるんだけど、普通の人に見せるためにみんな努力しているんだ、みたいなことが書いてある。普通の人なんていないし、みんなどっかおかしい。だけど、みんな私実は変なんですなんて言ったりしない。なんかサムイし、面倒だから。周りの反応とかをみて、これはダメなんだとか危険なことなんだって肌で感じて、未遂を繰り返し、人は当たり前のように普通だと胸を張って生きている。

時々、自分の中だけにしまっておいた方がいいことなのか、表に出していいのかがわからなく瞬間がくる。大雨の中でプールに入っていたら、プールから顔を出しても顔はずぶ濡れのままで、息苦しいとなれば、水の中か、水から出たのかの境目が曖昧になってしまうのだろう。その瞬間、咄嗟に人は、いつもはひた隠しにしていたちょっとおかしな部分を晒してしまうのかもしれない。

素直に、自分に自信を持って、放漫にも、このままの俺を受け入れろなんて言えたらいいんでしょうけどね。そうもいかないのだろう、小心者なんで。

そう、人は努力している。普通に見えるように、あたかもその他大勢に紛れるように、頭がおかしいと言われないように、この人怖いってならないように、そうなんだ。そうやって生きていくんだ。人と違うってそんなにいいことではないんだ。って思った。

私の母親は、ちょっと変。巡り合わせとかを信じるスピリチュアルなものも好きな人で、時々、私は母親のそういうところが大嫌いなんだけども。私の性格をしっかり理解して、頑固一徹で放浪してくると言い出したら聞かないと知っていたので、ぽいっと放り出してくれた。人生初海外がロンドンで放浪旅だった。

母は海外へ行ったことがない。英語が話せないとかそういうこともあるけれど、行けるチャンスがなかったのだろうと思う。海外へ行くことは当たり前の世の中だけど、行ったことのない人も結構いることも知っている。私は絶対にロンドンへ行ってみたかったから、就職する前に時間のあるフリーター時代に行ったのだけど、私の予想通り、就職してからは近場の韓国以外は行けていない。

話が逸れたが、私は時間がない、頭の中を仕事に支配されている、直感で決めることができないことが多すぎてとってもストレスが溜まってしまう。私は人と話をすることが好きだったので、友達の店に行くこともストレスの軽減になっていた。それなのに、21時閉店となると正直仕事終わりで行っても30分あるかないかになってしまう。

久々に行ったけど、自分が想像以上に疲弊していることに自分自身で驚いてしまった。よく知らない人たちと適当に楽しくお話をしてお酒を飲むのが楽しかったのに、なんだろうちっとも楽しくないのだ。私は、相手に興味も持てないし、この人の話を聞いてみようと話を振ることも考えつかないくらいに、頭がショートしていた。それでも少しお酒を飲んだら、話をする元気が出てきたけど、疲れすぎて、こんなことならさっさと帰って湯船に浸かればよかったなんて思っていて、ショックだった。

初対面の人との会話も楽しめないなんて、大丈夫か。相手の顔色とか話し方とか、少し話を降って食いついてきたら話を広げて、言って欲しそうな言葉を選んで、自分の話をしてくれるのを興味深く聞くのが楽しくて好きだったのに、それすらも面倒臭いと思ってしまっていた。

私の頭の中がしょうもない事象でいっぱいだからなのかもしれない。この仕事を続ける限りこの現象は治らないのでは?と思うと、なんか色々と間違っているようにも思うんだけど、ライヴへ行けるようになったら、もっと出かけることができるようになったら、もっと違う生活になるのだろうか。私の頭の中はもう少し、スッキリするのか?

というか、私の頭の中に何があるって何にもないのに、なんでスッキリしていないのでしょうね?

 

アバウト・ア・ボーイ (字幕版)

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  • 発売日: 2020/10/17
  • メディア: Prime Video