ぬるま湯

ストレスというものは多分、ストレス溜まってるな!と意識できている状態からそうでもない状態へと変化していくんだろうと思う。ストレスにじっくり肩まで浸かっていなきゃいけなくなって、そのストレス湯から抜け出すことができなくなって、のんびりしないといけない状態へと移行していく。つまり常態化するということなのだろう。ただ、人間とは慣れるもので、ストレスが大きかろうが、小さかろうが、そこにいるのが当たり前になっていく。

よくお見かけしますね、ってなもんだ。顔見知りなのだから。毎日毎日毎夜毎夜、私はいつもの顔ぶれかと思うような、慣れ親しんだ感情と一緒にベッドに潜る。というか、ベッドだけではない。道を歩く時、水を持って帰る時、電車に乗ろうとするとき、新幹線ではいつも隣り合わせに密着されている気分だった。私の何でもないくせに、図々しくも腕を組まれているかのような、他人なんです、とは決していえないような関係に見えるだろう。

いつもそこにいて、馴れ馴れしい。まるで生まれた時からそこにいるのが当たり前だったとでも言いたげに、まるで私の左手と同じくらいの立場だとでも言い出しそうだ。

イメージとしてはのっぺらぼうだと思ってていい。それ自体の存在感は忘れられないくらいに強烈ではあるものの、それから受ける印象としては毎回毎回変化している。静かな時もあれば、荒ぶっている時だってある。いや、それはのっぺらぼうではなく、自分なのかもしれないが。

いつしか、眠れなかった夜はなくなり、寝ても寝ても眠くて仕方ない日々へ変わる。それから、夜にだけ眠れなくなったり、朝方まで転々とする日々にもなり得る。食べても食べても空腹で、食べても別に美味しいわけでもない。瞼の痙攣が治ったと思ったのに、再発する。自分の生活を管理できなくなっていく気がする。

追い立てられるようなことに気を取られ、それ以外のことを忘れてしまう。楽しく会話していたことは覚えているのに、話した内容を1ミリも覚えていなくてがっかりした。

会社携帯からの連絡にビクビクし、嫌な予感だけをいつも持っている。

のっぺらぼうのストレスが、隣にいることを当然だと思うようになって久しい。いつもいたと思うが、存在感が大きくなってきたり、存在が自分にとって邪悪になってきたり、それは日々変化していく。私にとってどうでもいい感じに見える時もある。向こうの景色が透けて見えるくらい、立ち消えそうに心細そうに見える時すらある。それとは逆に激昂している時もある。なんなら激昂しているのは私であって、のっぺらぼう本人ではないだろうが、あまりにも私にひどく嫌な空気を送り届けてくるものだから、私は文字通り、手をぎゅっと握りしめて、マスクの下で唇を噛み締め、大きく息を吸って、「そうですね、わかりました」と言ってみたり、「そうなんですね、じゃ今後はこれからやってみてもらっていいですか」と全然まともにできていないだろう笑顔を取り繕っている。

私は接客業ではない。以前は接客をしていたが、本当に嫌になってやめた。とはいえ、接客とまでは行かずとも、先輩や後輩、取引先やアルバイトさんへ気を遣い、機嫌を損ねないとか、自分の中の正解や希望なんて無視して、この会話の正解を導き出すためだけに、相手の顔を見つめて会話をしてくことに正直疲れてしまった。背骨から折り曲がるような脱力感と共に、いるが、一生懸命、背筋を伸ばして、噛み締める。つまんない毎日だ。

「生活を犠牲にしてまで働きたくないんです…」と泣きながら吐露され、「わかる」と言いたかったが、「そうですか」と言うにとどまった。この時のセリフが後々、どうなっていくのかを考えると、あまり自分の意見も何も言えなくなってしまう。言質とったなんて言われないかもしれないが、どう転ぶのかなんて誰にもわからない。

とは言え、別に生馬の目を抜くような世界で生きているわけではない。ただ、人の言った言葉を覚えていることが多いので、自分の放つ言葉にも気を遣うようにしているだけだ。後から、この時、こう言ったとか、こう言わなかったとか色々と言われたくないだけだ。私は覚えているし、いつも覚えていようと思ってその場面を見つめている。

私がいつものっぺらぼうのストレスと一緒に仲良しこよしで行動していることに気づいている人たちは結構いて、気を遣ってもらうことも多い。今の局面でともかく私が一番大変なんだろうなと思っているし、一番踏ん張りどきだと自分でも思っている。それは周りからもそう見えているんだろうと思う。同じ立場の人からはいつも気遣いの言葉を受け取ることが多い。優しくしないでほしいと思いながら、「平気ですよ、ちゃんと休んでますよ」と言ってみる。

いつもは全然状況なんてわからない友達に、ただ、もう疲れたから仕事辞めたいなんて愚痴を言うことはあっても、最近は状況をわかっている社内の同僚と会話をする機会が持てなかった。同僚と久々に会って、そうやって話してみて、既に存在感を消していると思っていたのっぺらぼうストレスの着ぐるみを着ているような状態だったのだなとやっと気づいた。

一から説明してまで愚痴や状況や気持ちを話すことには疲弊しても、状況を理解している人が一緒に聞いてくれた時に、私ってストレスをこんなに抱えていたのだなと実感した。誰にも言えない気持ちがあって、職場ではふさわしくない言ってはいけない言葉や、とってはいけない態度、そういったものを一生懸命押さえ込んで、嚥下していくことに慣れすぎていた。

久々に存在感を放ってきたのっぺらぼうは随分育っていた。もう同化しそうだ。自分の言葉を嚥下し続けるが、心の中では聞くに耐えない汚い言葉をこぼしていることがある。

私はただ、休みたい。遠くへ行きたい。しばらく出かけてきます。

探さないでください。と書き残して、旅に出たいと思う。

思うだけだ。

今年はトラブル対応を延々とやっているだけなので、おっきなプロジェクトが終わったから少しゆっくりしよう。的なご褒美があるわけではない。転職するなら早いほうがいい、今日が一番若いんだから、と言ってくる。

でも誤解しないでほしい、私は転職したいのではない、働きたくないだけだ。誰かに雇われて、管理職を続ける以上、スタッフや環境が変わるだけで、やることはほとんど同じ。延々と永遠と。