Call me by your name

今日も暖かいので、とても歩きやすいなと思って過ごしている。

朝から用事があったので、午前中に済ませて、午後イチには本当に数年ぶりの方と会ってきた。この時期、本当は普段会わない人とは会わない方が正解なのかもしれないが、どうしても会っておきたかった。会えてよかったと思っている。

あの頃の思い出が蘇るという感じではなかったけど、あの時と同じ笑顔で会えたことはよかったなと。少なくとも5年は会っていないと思うが、あまり変わらない感じで、元気そうに見えた。私も元気そうに見えたことだろう。

最近のバタバタが一呼吸つけるようになったからだ。本当なら余裕だってあったはずだけど、私にはしっかり呼吸をする余裕を見つけることができなかった。閉塞感と追い詰められているような変な感じで生きていた。体調が悪くなったり、疲労困憊したり、悲しくなっていた。すぐにお腹に影響が現れるのは本当にやめてほしいなと思っている。

最近の戦争の報道に食道と胃のつなぎ目あたりが、すり潰されるような変な気持ちになる。空は青くて気持ちのいい風が吹いていても、地下壕にいれば感じることもないのだろう。悲しい気持ちになる。大声で反対と言えない状況の人たちも、同じ気持ちだろう。公園で遊んでいる和やかな子供たちの大声や笑い声を聞いていると、和む代わりに、胸が痛むのだろうと思う。

 

今日は全感覚祭、反戦の音楽デモが新宿駅でやっているが、私は行けなくて、配信を見てる。私はウクライナにもロシアにも友達や知り合いがいないけど、実際に家族が祖国にいる人や、政治学者とか、身近にある人たちのスピーチも一緒に聞くことができる。とても悲しくなる。

寄付をした時に、領収書の発行を選択した。寄附金控除のためだ。そんな時に、同じ金額の同じ寄付なのに、なんでかなんかすみませんと思ってしまう。

私は生まれつきのシャイなので?、人へ親切にするときに、余計なお世話だったらどうしようと思ってしまうことがある。でも、人が道に迷っている感じの時や、海外からの旅行者の方へは臆せずに親切にすることがあった。私が昔旅行へ行った時に、周りの人からとっても親切にしてもらったことがあったからだ。右も左もわからない場所で暮れゆく世界の中での心細さを幾分軽減してくれたからだ。

でも今月から私は臆することをようやくやめた。余計なお世話だと思われたら、その時にごめんなさいって言えば済むことなのだと、やっと開き直ることができた。何年かかったのかはわからないけど。私ができる親切なんて些細なことだけど、私がちょっとだけ役に立てた分、離れて暮らす母に誰かが親切にしてくれたらいいなと思っている。

思ったことは全部やろうと決めたのは多分数年前で、その時からいくらか達成してきたこともあるけど、今年の2月末あたりから、しっかりネジを締めて、やりたいことは全部やってやろうという気持ちに拍車がかかった。よくわからないが、人の気持ちなんてそんなもんだろう。

 

先日、アマプラを開いたら、これまで対象でなかった映画が対象になっていたので、思わず観てしまった。君の名前で僕を呼んで。という映画で、この映画の音楽が素晴らしいということで話題になっていた。その時からずっと観たいと思っていたが、なかなか観れていなかった。アマプラ対象外だったからだ。Sufjan stevensの楽曲がメインで流れる。

映画自体は一夏の恋の話。イタリアの田舎の景色がとても美しく、夏物語や、悲しみよこんにちは。を連想させた。イタリアの景色なのになぜフランス映画を引き合いに出すかというと、言語がフランス語だったからだ。

考古学者なのか民俗学者か地学者なのか、そういった学者一家の元に、アメリカからの研究者が住み込みで一緒に研究をする生活の中で、弾けた気持ちと一緒に生まれたものの話だ。

夏の明るい日差しの中で、澄み切った空ときらきら光る水と、80年代の子供たちの生活とかがとってもきれいに切り取られていた。美しい世界で、ノスタルジックな気分にもなった。私の出身のど田舎には、もしかしたらこんな美しい世界があったかもしれないが、私にはどんよりとした水溜りのように思えた。キラキラと輝く川面があっただろうとは思うが。

生活とはきれいな自然の中にあっても、都会的な場所であっても、歴史的な街並みであっても、日常であることが生活なんだろうと思う。旅行で立ち寄る街には私にとっては非日常で、新鮮に映り込んだ景色であったが、生活を営んでいる人たちにとっては単なる日常を切り取った見慣れた情景なんだろうなと思うと、どんなに素晴らしいと思えるものも見慣れた、退屈なものだったりするのだろうなと思う。

誰かにとっての素晴らしいものも、誰かにとっては何のやくたいもないものになっているのだろう。そうやって、この木々やこの光は成り立っているのだろうなと思う。少なくともこの映画は、この自然と片田舎をとても素晴らしいものとして映していた。

 

80年代が時代背景だと思うが、アメリカからの研究者が、自分の父親は理解がないから、きっと施設に入れて矯正されるだろうと言っていた。

この気持ちや思い出は押し殺して、望まれる生き方をするということを2人で話す場面があった。切ない気持ちでそれを聞いていた。2人の恋心の行方もそうだが、周りが望むからというところで、別に気持ちを残している人と一緒に添い遂げる彼女のことも切ないなと思ってしまう。

今より、もっと理解がなかっただろう。主人公の両親はとても理解があった。