奈良マジック

母親と1年ぶりの再会を果たした。ワクチン接種を完了して抗体ができたくらいの時期で、大阪から感染者が減り、奈良でも殆ど外出していない母親に安心して会えるようになるまで、年末年始も会わずに過ごした。

去年の11月が最後だった。最後のお墓参りだった。

秋にお墓参りをするのは、お盆の時期に行くのはとても暑く、大変だから。本当は命日のあるお彼岸に行きたかったのだが、コロナのせいで行くことは叶わず、今年はこの時期になった。去年の11月はなんだろう、コロナかもしれないし、単純に仕事の都合だったのかもしれない。多分兄がお彼岸にお墓参りをしていたので、少し遅らせた気もする。

私は別に父親がお墓に眠っているなどとは思っていない。父親は現世にはもういないのだし、特にどこかにいるのだろうとも思っていない。私の中にいると思っているし、夢の中にいることは知っている。だからと言って、その辺にふわふわしているとも思わないし、お墓とか実家の仏壇にいるとも思わない。お墓よりは仏壇の方がいる気がするけど。屋外よりお家の方がいいだろう。

 

今日が最後だと思って過ごす。ということは頭でわかっていようと、そんな風に過ごすことなんて到底できない。それは、私が今日を最後に絶命するとか、相手が次に会う機会を待たずに世を去るということを想定して、今伝えたいことは臆せず伝えようということを意識するものだ。

母親がたとえば、もうすぐこの世を去るとしても、仕方のない年齢だということは認識している。だって父親はもう10年も前に他界しているのだから。それに死ぬのに年齢はあまり関係ない。この次の瞬間に隕石が激突してしまったら、0歳であっても、200歳であっても亡くなってしまうだろう。

でもそれでも私は、またねと言って手を振って別れた。また会うのはいつなのかなとは思ったけど、でも年末年始には今回は帰ろうと思うし、それに近いうちに一緒に出かけるのだから。

人の生き死にとは関係なく、同じ条件で会えなくなる可能性を人はいつも秘めているのだと思う出来事があった。最近ライブへ行ったのだけど、そこでいつぶりなのか、半年ぶりに友人に会った。前回はまだ、緊急事態宣言も開けていなかったので、さっさと帰宅したのだが、今回は割とゆっくりといろんな会話をして過ごした。

彼女には好きなアイドルがいて、私も過去に見たことがあった。今はどうなっているのか興味本位で確認したら、解散しているようだ。いつ解散したのか、どういう経緯だったのかを聞いてもあまり知らない様子だった。彼女の友人の中で、一番そのアイドルが大好きだったこが離れた席に座っていて、一緒に話を聞きに行った。

解散ライブと言われるものも確かにあったが、推しが出ないまま終了したそうだ。そのライブに誰が出るのかの告知もなく、戸惑いながら会場へ向い、そしてステージにいるメンバーをみて、理解するという感じだったそうだ。

解散の兆しはあったものの、体感としては突然、急に、なんの挨拶もなく、やってきたらしい。今日見るライブはいつも最後だって思って見ておこうという気持ちになった。

 

父親が存命だった頃に一度だけ、両親と私で父の運転する車に乗り、コーヒー豆を買いに行った店がある。凡豆という奈良にある店だ。場所は飛鳥小学校?の近くだ。ならまちを越えて歩いたところにある。今回は、父親がいないので、バスで凡豆に向かった。私の記憶はとても曖昧で、思っていた店の感じとは全然違った。私が覚えているのは、父親の顔だけだ。

母親が凡豆に行って、豆を買って帰りたいと言い出したので、急遽寄せてもらった。母親はあまり社交的なタイプではないが、対応して下さった奥様が、当店は初めてですか?と確認されて、その時に、10年前に一度主人ときたという話をし始めた。

行きたいと思っていた時に、行きたいと思った場所に行けて、母親は満足したと思う。そんなことって当たり前のことだけど、母親にとってはそうではないのではないかと思ってしまう。そのための私だと思うし、兄なんだと思う。それまでは父親が母を色んな場所に連れて行ってくれていた。今は父親がいないから、私たちがその役目を担うことが必要だと思う。

 

クソ田舎の透き通るような高い空の下で、死んだらこんなとこにおらなあかんなんて嫌やわ。って母親が呟いた。クソ田舎の何にもないところにある、お墓のことだ。私だって嫌だし、そこに眠る父親も祖父だって嫌だろうと思う。なので、こんなところにいないんだと力説しておいた。ここには誰もいない。確かに遺骨が埋葬されているが、だからと言って、焼かれた骨の場所にいつまでもいるもんかと思う。何にもない、枯れた花ばかりの石の羅列のこの場所になぜ留まる必要があるのだ?

お父さんはこんなとこにいないよ。もっとあったかいところにいる。どこかはわからないけれど。

今はもう、誰も住んでいないこのクソ田舎にはお墓参りでしか行かない。こんな田舎に戻りたくないし、のどかだとも思わない。でも前に来た時ほど、鬱屈とした雰囲気がなく抜けるような大空を感じていた。駅前の自転車置き場、こんな恐ろしい雰囲気の場所に停めていたのかと前回は思ったが、今回はそうでもなかった。

お墓では毎回てんとう虫に遭遇する。てんとう虫って本当に久しぶりに見たなって思う。あんなに赤いのってなんでなんだろうね?

奈良には少し観光客が戻っているように感じた。冬が近づいて、16時には暗くなっていく空を見て、悲しい気持ちになった。17時を過ぎると奈良は結構店が閉まっていく。18時には割と閉店している。おかげで母親と別れるときに、余計にもの寂しい気持ちにさせられた。

 

帰りに乗る近鉄電車も。今回乗ったJR奈良線も、基本的には悲しい気持ちにさせる乗り物だと思う。奈良から帰るときは、いつも大体悲しいようなしんみりした気分にさせられる。