フロントガラスを叩き割る、気分

なつかしい音を聞いて急に寂しくなることがある。

そんなに耳がいい方ではないが、車が止まってエンジンを切るときの音が部屋にいると聞こえることがある。当たり前のことだ。車はどこにでも走っているのだから。

でも、昼間は周りの音が色々と聞こえるので、深夜じゃないと車のエンジンを切って、誰かが、車のドアを閉める音なんて聞こえない。今日聞こえた音は、昔に聞いた音と似ていた。

家にいると、家の庭に帰ってきた父親が停車し、エンジンを切ってドアを閉める音がする。もう10年も経つのに私は父親に会いたくて仕方ない。

もう会えないとわかってから10年も何をしてきたのだろう。ただ、会いたいと思う日々は乗り越えてきたと思ったのに、何年経たらもっと平気になれるのだろうか。

 

ここは京都ではない。ここは家ではない。ここは2021年で、父親はもうこの世にいない。

父親の母親、つまり祖母は少し物忘れがひどくなっている。コロナの影響でほとんど会うことができないけど、いつも、もうこの世に存在しない京都の家のことを話してくる。私の知っている家じゃなくて、もっと昔に、祖母が住んでいた京都市内の家のことだ。

私の父親がいて、叔父がいて、祖父がいた、あの家のことだ。

今日はこれから帰らないと、父親が待っているって言うの。どこに?って聞くと家だっていう。京都市内のあの家に帰るんだって言う。父も叔父も祖父も全員この世にいない。その家だって、存在しない。

母親は、もうその家がないことと、全員の他界をその場で告げると、祖母は、思い出したようにそうだっけと言う。でも5分くらいで家に帰る?って聞いてくる。

いつもは、同じことを繰り返すのを微笑ましく見ているけれど、全員他界したことが真実でも言わなくていいんじゃないかと思ってしまう。

父親は元気か?って、叔父は元気か?って聞いてくる。ここには何もないから京都の家に帰らないとって。

 

私は基本的に不幸だと思って生きてきた。面倒くさくて、私だけいつもダメダメだと思っていた。私の人生はつまらんくて、しょうもないものだ。大して何も持ち合わせていないし、どうしようもない。

しかし、私の考える不幸なんてどうしようもないくらいしょうもない。泣けることもないし、感動できることもないし、飛び跳ねるくらいの喜びもなければ、ちびるくらいの衝撃もない。すんとした顔でやり過ごせる程度のことだ。多分、わからんけど。そうだって思っていたい。

こんな気持ちになったのは映画を見たからだ。最近忙しくて、電話とPCに追いかけ回されている気分だった。連休を取り付けて、映画を観てやるって思って、本当はコメディとかにしたらよかったのに、観たのはショートタームと言う映画。

この映画のせいで、こんな気分になって、こんなことを書いている。

 

 

ショート・ターム(字幕版)

ショート・ターム(字幕版)

  • 発売日: 2015/07/03
  • メディア: Prime Video