こんな夜

3月の土曜日に梅田のクアトロでGEZANのライヴがあって、行ってきた。

一年ぶりだったので、本当に本当に楽しみにしていた。日程的に仕事の可能性があり、行けるのか不安だったけど、無事に行けて本当によかった。

まず、最初にびっくりしたのが、声が常にDEATH声だった。

やっぱり生身の体だから喉の不調とかでこんなこともあるんだなと思った。実際は痛みとかがあるのかわからないけど、とっても辛そうに感じたので、無理して歌わなくてもいい。と思った反面、やはりききたいし。ってなってしまった。

 

常にDEATH声になっている感じだったので、いつもみたいに声が出ていなくて、辛そうって印象だった。それでも、ライヴが観れていることを噛み締めていた。

途中から最初より声が出るようになったとのことで、かなり無理されているとは思うけど、最後まで歌っていて、最後までめちゃくちゃ楽しいライブだったことは確かだ。

 

なんとなく、以前の曲はあんまりしないのかなって思っていたけど、そうでもなくて、久々にblue hourとかwasted youthもあり、それに聴いたことがないって思った曲は待夢のアレンジ違いだった。

セトリは全く覚えていないけど、ともかく興奮していた。私。めちゃくちゃ楽しかったし、かっこよかった。また大阪で見れてよかったと思っていて、行けそうな日程があれば他の場所にも行きたいと思ったんだけど、日程的になんか無理そうなんだよな。。。

フジも決まっているけど、the strokesとは別日でなんだか悩ましい。大阪のライヴは楽しかったし、永久にdeath声のライヴも貴重やなって思ったけど、やっぱりいつもの声のライヴも見たいと思ってしまって。

コロナ禍だったから、年一回でも諦められたけど、今ってもうそんなこともないし、ライヴ自体もモッシュ、ダイブもあって以前の感じに戻ってきた感じだし、もう少したくさんのライブを見る機会ができたらいいなと思っている。

アンパンマンとかスポンジボブとかそんな感じで可愛かった。

we were the worldがとてつもなくよかった気がする。と言っても、興奮していてそんなに細かな差異はないんだけど、いい夜だった。

悲しみと痛み

春になって、少しあったかくなってきて、気分が良い。

肋骨の痛みも少しずつ治まってきているけど、寝返りとか重い荷物を持つとか、くしゃみでは目が覚めるほどの痛みがやってくる。でも普段は普段通りに近い。

今日はいいお天気で風通しが良くて素晴らしい気分、明日からめちゃくちゃ面倒臭いことが待っているけど、もう今はどうでもいい。

最近ショックなことが一個あって、本当にどうでもいいことでもあり、自分がそこまで衝撃を受けたこと自体に驚いたのだけど。

ソシャゲとは大体3から5年ほどでサービスを終了するのが通例だと教えてもらった。私はリゼロスがサービス開始した日から最近までずっと利用していた。ゲームをしているのはこのたった一つしかない。3年でサービスが終了するのだけど、こんなに突然終了するのかと驚いて、ゲームを作っている知人に、突然連絡をして、リゼロスがサービス終了するとか言っていて、この悲しみをどうしていいのかわからんから聞いてほしいと言い出し、小一時間聞いてもらった。

そんなに楽しんでもらっていたら運営も本望だと、サービス終了は運営も悲しいんだよ、って言っていた。そうだね、5月で終了するってことだったので、それまでは変わらずやろうって思っていた。

だけど、どうしてもやる気が起きなくて、ほとんどサボっている。ガチャの確率がものすごいことになっているので、めちゃくちゃたくさん引ける。それはそれでいいが、悲しみ。

リゼロの中ではベア子が一番可愛くって好きで、結構引きも良かったし、可愛い。私の出張のお供で、長いバスの中めちゃくちゃ戦っていたなと思い起こす。確かにほとんど単調なのだが、ゲームとは総じてそういうものだと思う。果てしないスキルと果てしないキャラクターと果てしないガチャ確率。それがゲームだと思っている。

やっぱり悲しい。収支が合わなくなったらサービス終了するのかな、と聞いてみたら、ソシャゲの寿命に合わせて終了した可能性もあるね、と。もちろん実情なんて知らないけど、サービス開始からサービス終了までゲームをすることがあるなんて自分だって思わなかった。

 

とはいえ、生活があるからゲームが終了するからといって、自分の生活が破綻するわけではないので、別段問題ないとは思うんだけど、悲しいのは本当なので、やっぱり悲しい。

こんなことある?この喪失感ってなんだろう、とか思ってしまったよ。でも確かにいつも慣れ親しんだ商品が、いつもの店舗から無くなっていて、廃番になったと聞いたら喪失感に包まれると思うんだけど、そんな感じに近い。

 

コロナ罹患とか入院とかで体を横たえていることが多かったので、治ったら体を動かそうと思っていたが、肋骨が痛くて、ヨガをする気にもならない。今は歩いても響かなくなってきたので、普通に歩いているが、荷物が重いときは、やっぱり痛い。

深呼吸、力を入れる、寝転ぶ、それが結構痛いが、一番痛いのはくしゃみ。本当に痛い。最近になって、咳は改善しているが、空気の乾燥のせいで咳をすることもあり、恐々咳をしている。

 

2時間の前倒し

元来、怠け者体質で、朝寝坊のタイプなので、朝に勉強するなんてことは自分に合っていない気がする。

一度サーフィンに一生懸命だったときは、早朝に起きることもあって、活動時間が朝タイプになっていたが。とはいえ、大阪住みなので、四国や伊勢に行くにしても和歌山へ行くにしても、深夜か朝方に出発して、未明に到着し、仮眠をとり、朝日が出てから準備をして海へ行く、というタイムテーブルだったから、健康的に早起きして海へ!という感じとは少々違う。

海の近くに住んでいるセミプロサーファーのヘルシーな毎日と同じとは言えない。昼前に、ランチをとり、のんびりしたい時には、まったりしてそのまま海から離れるか、もう1ラウンドしてから、昼下がりに大阪へ向けて帰宅するような感じだった。

 

1日の活動時間とか身体的な疲労感は早朝から動いているので、早起き健康体気分ではあるが、少し違っているかも。早起きタイプとは少し違う。ただ、朝日の気持ちよさや、早朝から海にいること、人の少ない状況でひんやりした海に入る気持ちよさを味わえたことだけでも健康的な気分ではある。それに体を動かしているから気持ちは確かに健康的だった。

 

サーフィンをしなくなってから、早起きが苦手だったことを再認識している。例えば、仕事の関係や、用事の関係で、早起きをすることはもちろんある。その度に私は密かに用事なんかなくっても毎朝5時に起床する生活になりたいと思って、翌日も早起きしようと目論んでいるが、当日は早起きのせいで早く眠れたとしても翌朝は通常通り、7時くらいにしか起きることができない。

でも、仕事をおわらせて帰宅してから2時間の作業をしようとすると多分だけど、私は目が冴えて眠れなくなりそうでしかない。それに頭にまるで入りそうにない。

ただ、家にいる時間で、作業内容が睡眠に影響しない時間なんて早朝しかない。

頑張って早起きして、それから頑張って作業して、早めに仕事へ行って、頑張って終わらせて、早めに帰宅できたらいいけど、自分の作業だけをしているわけではないので、そんなことできそうにないんだけど、そこはなんとかぶっちぎって終わらせることを念頭にするしかないかもしれない。

ただ、問題は私がとっても怠け者だってことだ。私のスタートダッシュの煌めきは本当にほんんの一瞬で燃え尽きる。自分でわかっているから、どうにか継続できないもんかなーと思っているが、自分にそこまでの期待はできない。

どうにか三日継続して、それから1週間頑張って、1ヶ月もできたら、起床と就寝のリズムが変わりそうなので、そこまで行ければ大丈夫なんだろうけど、なかなか私は継続することができず、とっても意志薄弱。それになんだかすぐに嫌になるのでどうにかモチベーションを保っていきたいが、すでに自信がない。

 

MacBookを購入して、デフォルトの設定で何にも考えずに使っていたが、設定を見直したらなんだか普通に労力が減少して、快適になった。もっと早くすればよかった。手の凝りが改善しそうだ。トラックパッド愛用していたが、マウスを購入しようか少し迷っていたけど、設定を変更したら特にマウスなくてもいいかもしれない。設定って大事だなと思った。キーボードとトラックパッドの設定だけでももっと早くやればよかった。

無気力というもの

咳が止まらないというほどではないが、定期的に咳き込むこともあり、空咳も絡む咳も出ている。喉が痛かったり頭痛がするが薬を飲むほどでもない感じで、そのまま過ごしているが、昨日から肋骨がともかく痛い。

ヒビが入っているのか肋間神経痛なのかどうやったらわかるのかわからないが、なんとなく湿布で対応するようなので、我慢できなかったら湿布を貼ろうと思う。

咳とくしゃみをするときの激痛、呼吸をする、姿勢を変えると激痛の時、疼痛の時、とかって感じ。もし仮に骨の異常なら青タンとかできそうな気がするんだが、どうなのだろうね。

 

人の気持ちとして塞ぎ込むことがあったり、なかなか浮上していかない時って結構あって、今回はかなりどうにもならない感じになってしまった。三日間の休みで浮上することができたことができなくなってしまった。

毎日仕事のことを考えている日々から、仕事以外で自分のすることを考えることが増え、今後の計画を前向きに検討してみようという気持ちを持つまでにはなんとか持ち堪えている。

でもそれはこれまでのように再度同じように頑張ってみようという気持ちからではなく、もう、ここでは対応できないという半ば諦めから新天地を求めて行こうという思いになっている。これまではどこへ行っても何もしたくないということばかりに囚われていたが、他にも考えることができるようになったからでもある。

ただ、仕事で今後の計画とか動きなどの打ち合わせをしているときに何も感じなくなり、ほとんど話を聞いていない。とはいえスタッフにはそれなりの対応をする必要があるので、前向きな感じで話をするというダブルスタンダードを続行しているが、多分私の目が死んでいるのだろうと思う。体調も優れず、入院に続きコロナ罹患で連休となることになったが、結局どんなに体調不良でも、自宅での対応は免れず、毎日PCを開いて業務をしていた。

ただの自宅待機ならそれでも仕方ないかなと思っているが、高熱で頭痛とめまい、吐き気に苛まれながら、休み休み業務対応をしていた時に、少しでももう少し興味を持てれば、向上心を持っていれたらよかったのにと思ったものだ。

 

とんでもなく退屈で馬鹿らしいと思いながら、平然と居続けるのは、やはり結構辛いものがあるなと再確認している。

 

夏の準備

あれから、ずっとGEZANを聴いているのだが、聴き慣れてくるとやはり違って聴こえることが多いな。

今年の夏はちょっと昔の夏に戻りそうな気配がするが、仕事の状況がどうなるのかにかかっている。最近、休みを経て色々と考えることが増えた。本当に自分のしたいと思うことは何かとか、希望とは何かを考えるようになった。

それに仕事中に我慢できなくもなった。なんだか馬鹿らしく思うことも増えた。取り繕えなくなってしまったり、言いたいことを言いたくなってしまったり、これまではどうやっていたのだっけ?と思ってどう対処することを正解と考えていたのかが全くわからなくなってしまった。

そんなことはまあいい、大して良くはないが、自分でしっかりと見極めて今後を考える必要があるということで問題はない。

今年の夏はFUJIにTHE STROKESが来ますね、他の演者はあんまりわかっていないけど、ヘッドライナーということなので、行きたいと思っていたら、友達から行く感じ?と聞かれた。いくのかな?

それに今年はサマソニにラウヴが来るそうで、観たいと言えば観たい。今年は旅行も行きたいし、海外にも行きたいが、私はこんなことばかり考えていて、仕事をするつもりなんてあるのだろうかと自分でも疑問だ。

just love

コロナ罹患を経て、普通の状況になりつつあるので、やっと罹ったなあと言う感想が一番と、それと、無症状で既に罹患済という設定は違ったのだなという再確認ができた。

症状の出始めは正直、インフルエンザだと思ったので、その辺は風邪と大差ないのかもしれない。悪寒がひどく、その後は発熱してそうだなって感じで、検温すると38.8度だった。

悪寒は治らず、発熱の全身の痛みとに打ち震えながら、ベッドの中でダウンを着込んで、痛みにじっとできない状況で音楽を聴きながら眠れない夜になることを予感しつつ、目を閉じて過ごした。

聴いていたのはGEZANのあのちという新譜。身体中がともかく発熱のせいで痛みがあって、じっとしていられなくてベッドの中でうずうずしていたし、悪寒のせいでやはり体をじっと横たえることができずにいた。それでも22時過ぎの時点で、明日も休みで堂々とベッドに潜り込んで正当化できているこの時間がとっても至福に感じていた。音楽なんて聴いて、眠りにつく努力をすることが、この時本当に幸せに感じていた。しっかり眠ることができる時間を確保できたことと、明日の心配をせずに眠ることを、嬉しく思った。この時は必然と感じたが、今から思うとそんなに幸せを噛み締めるような状況だったのかはわからない。

でもともかくこの時はびっくりするくらいに疲労していて、数日眠ることができていなかったこともあり、疲弊し過ぎていた。だから単純にベッドに潜り込んでいる自分を褒めてやりたかったのかもしれない。

一番最初にあのちを聴いた時にはwe were the worldが一番好きに感じていたが、この時はjust loveがあまりに素晴らしく心地よくて、私の多幸感を増幅させた。

この日は高熱が続いていたので、全く眠ることはできず、時折出る咳のせいもあり、夜中に思い出して水分補給をしては、そのままトイレに流すという高熱の夜を当たり前に過ごした。インフルエンザの時より幾分楽な感じがした。

私にはかかりつけ医というものがないし、消化器内科へはいくことがあるが、そこは発熱のある時には行ってはいけないので、診てくれる場所ではない。ともかく大阪市の抗原検査キットを申込み、それからネットスーパーで水とか必要なものを色々と注文して、発熱と仲良くしていた。

翌日からは高熱が頭痛を連れてきて、状況は一変してしまった、頭痛とは本当に不愉快でしかない。解熱剤を飲んではいけないと思って我慢していたが、頭痛がひどいので鎮痛剤を飲もうと決めた。ほとんど食欲がないので、ゼリー飲料を飲んでいたが、3食ゼリー飲料にし、ポカリを常飲していたら突然気持ち悪くなって、それからはその辺の飲み物の一切をやめてしまった。

その上、私の家から鎮痛剤が消え去っていた。おかしいな。いつ飲み切ったのだろう。

結局3日間高熱と頭痛と肩を組んで一緒にベッドで添い寝した。4日目に高熱と頭痛が消え去ってからは、喉の痛みもほとんど消失してから、咳が居座り、私には胃腸の不良が潜り込んできて、最悪に不愉快、腹痛と胃腸不安。

頭痛と発熱が消えた時からめちゃくちゃ快適になったのに、咳のせいで全てが台無しになってしまった。息ができない状態や、込み上げるような空咳のせいで、生活も睡眠からも安心感が掻き消えた。

7日目に胃腸不良は継続しているが、食欲が戻ってきた。それから、咳はほとんど消えて、匂いの一部が私から消えた。匂いがしないものがあるという感じで、他の人が言うように味がしないとかそう言うことではない。生姜とかチョコレートの匂いはわかる。りんごも一部欠けているがわかる。一部が欠けて感じる。例えば、紅茶の香りがしない。匂いのしない紅茶を過去に飲んだことがあるので、わかるが、紅茶だとわかるが、ダージリンのいい香りがしない。

部屋中に広がるようなキャラメルフレーバーのルイボスティーを飲んだが、普通のノーマルルイボスティの味がした。まるで香りがしない。

シャンプーのフローラルの香りも一部欠けて感じる。バニラの香りの香水はまるで匂いが消えてしまった。柔軟剤のフローラルも無臭。香りに周波数があるならきっと一部の周波数だけ受信しなくなったって感じに近いかもしれない。

不思議だけど。それから耳が少し聞こえにくい気がする。くしゃみや鼻水が結構出ることも原因かもしれない。水洗トイレの流水音で耳の異常に気づくことが多い。

 

仕事が休めることだけが嬉しいと言うのに、今回も高熱で頭痛の中で対応することが多くて、やっぱり転職しようかなという思いに苛まれている。こうやって私は辟易していくようだと自分で感じた。

 

この1週間ずっと「あのち」を聴いていて、他のものは特に聴いていないんだけど、早くライヴへ行きたいなと思って、ニヤニヤしていた。前回ぶりで1年ぶりなのか、そんなになるのか。行けそうな日程で大阪に来てくれることがともかく嬉しい。音源はCDを買ったのだけど、アナログが出るそうで、アナログ買えばよかったなとも思ったな。

個人的にはバンドがいろんな楽器を入れて演奏するのは嫌いではないが、最終的にはいつも少人数に戻ってくれる方が好きなんだと思っていた。GEZANもそのうちそう思うのかもしれない。なんとなく、大人数のバンドが嫌いではないが。2から4人編成が好きなのは仕方がない。

それでも今回の音源はあんまりバンドからかけ離れているように感じないというか、元々いろんな楽器を音源で聞こえたからかもしれない。一体私は大人数になることに何がそんなに嫌だと思って拒否感があったのかはわからないけど。

戦争に何度でもNOっていうところも。何度も大事なものはこれだっていうところもとても大好きだ。

 

Anochi

Anochi

 

風と陽射し

冷え症という感じなのだが、実家に住んでいた頃に比べると私の手足は格段にあったかくなったし、寒がりという印象もほとんどないと思う。

いつも薄着だねと言われるが、薄着をしている訳ではない、カシミアのニットにヒートテックとか来ているし、スラックスの下にはレギンスだって履いている。それにコートを羽織ってマフラーを巻いていて、それでも薄着の印象があるらしい。これ以上一体、人はこれ以上何を着ているのだろうか。

一日中外にいるとかなら私だってダウンを着るとか考えるが、オフィスに行くときの服装は大体みんな一緒じゃないかと思うんだけども、なぜか人から薄着と言われる始末。アンゴラニットとか、ローゲージニットとかボリューミーなら何もいわれないのだろうか。まあ、別に何を言われてもいいんだけど、単純に疑問なのだが。薄着だと言われたら、何を着たら薄着に見えないのかを聞いてみよう。

 

以前も書いたが、私は音楽がとっても好きだ。だけど、ライヴへ行く機会がめっきり減ったので、音楽を真剣に?というか聴く機会もそんなになくって、貪欲に聴きたい音楽を探すこともほとんどなくなった。

それに美術館へ行く機会も減って、旅へ出たのだが、海を眺めにぼんやりしに行くという感じで完全に正常な状態を保つための息抜きという感じだった。

私にはここ数年失っていたものがある。時々あったって思っていたが、それって結局全然別物だったことに昨日気づいた。心ときめいたり、ワクワクするという感情を最後に味わったのって一体いつだったんだろう?

2022年の秋冬にかけて新しいことを始めようと本気に考えるようになって、それでも変わらず仕事がとっても立て込んでいて時間の余裕がなく、モチベーションは地にめり込む程度の低さで、いつもいつも息をするように心の中で辞めたいと呟いていた。そんな有様だった。

その中で入院が決まり、なんとなく数日しっかり休むことができた。病院は確かに退屈だったが、会社用のPCを開かないという言い訳にできたし、病室へいる間は連絡も最小限にしてもらっていた。退院したという連絡をしてからは、休みなのに普通に連絡が入っていたけれど。

そのせいで私は本当にもらった休みよりも、より少なく休んでいたような気分になって、本当にその時は気が滅入って仕方がなかった。大晦日に実家に戻っていつぶりかの家族に会って元気な姿を見せれたことは母を安心させた。

私は年始から普通に働き始めて、いつも通りの月初の忙しさを体感し、いつも通り過ぎて数日お休みしたが新鮮さのカケラもないことを残念に思っていた。でもそれは元からわかっていたことだった。いぜんも2週間休んだ時にも復帰1日目から新鮮さも懐かしさもなく、知っていたって感じだった。いつも通り、なんの変哲もない。それが私をがっかりさせた。だから今回の休み明けがあまりにも普通だったことについては驚くこともない。

月初からずっと忙しく、今年もバタバタしているんだろうなと予測ができるが、年末までの鬱屈な気分は今はなくて、どっちかというと気分はいい。体はめちゃくちゃ疲労しているが、今年は昨年から時間が不足して不十分のままになっていた勉強に本腰を入れることができればいいなと思っているが、プライベートの時間確保には仕事の時間制限を設けることが課題かなと思っている。私の業務量を減らしていくことを考えようと思う。

転職するか、副業するとかで何かしらの対応をして準備したいなと思ったり、やっぱり昨年には踏み出せなかった勉強にも本腰を入れようとか、いつになく前向きな気分で過ごせていて、なんだか気分がいい。今日も曇り空でいいお天気でもなかったけれども、窓からひんやりとして風が入ってきて、薄曇りの明るく弱々しい光が部屋の奥まで差し込んで気持ちのいい時間を過ごした。陽射しと風通しがあるだけで、本当に気持ちがよくて、その景色の写る部屋で過ごしているといつも幸せだなあと感じる。

私の年始はいつもただの月初で、大晦日と元旦にはいつもの夜明けしかなく、同じ日々の連なりでしかないと数年思ってきたけれど、今年は本当になんだか気分がよくて、気持ちよく日々を過ごしている。めちゃくちゃ時間がなくて、私に振られている業務は誰のチェックも入らずに、私で完結してお客様へ投げていくようなフローになってしまっているし、まるで私が責任者のような動きになってしまっていて、本当に時間が取れない1週間を過ごした。ヘトヘトで帰ってきて1人残業して、1人早出する日々。それで勉強する時間も取れず、洗濯する時間も料理をする時間も元気もなかったけど、それでも私は楽しい予感と一緒に意気揚々と過ごしている。なんだか気持ち悪いが、躁鬱状態で言うならこれが躁状態なのかもしれない。

精神衛生上、必要不可欠な旅というより、楽しむための旅とかもできたらいいなと思っている。この気分がいつまで継続するのかは未知数だけど、今年はいつになく前向きに過ごせているので、やる気のあるうちに始めて進めてしまいたい。

 

先日、久々に新しい音楽を聴いて、それから自分がどこかからどこかへ浮上している気分になった。心ときめいたのは何にだったのか、心ときめいたような気分になった、のかもしれないが、悲しく切なくて泣くんじゃなくて感動して感涙したい。

GEZANがツアーするんですね、大阪はいつなのだろうか。行ける日程だったらいいな…