人生最初の絶望

忙しくて睡眠不足に陥って、とっても疲労していたのだけど、やっぱりそんなの辛いと思って、たくさん眠ることにした。生活に時間がほんの少しだけ余裕ができたことが大きい。

色々と諦めていて、本当に疲れた時には、全てを手放すことにした、もうどうでもいいやって思って。と言っても別に投げやりになったわけではない。私は私一人分でしかない。

クマにはクマ一匹分、ネズミにはネズミ一匹分。ってやつだ。クマの子ウーフの一節で、とてもよく覚えている。子供の頃のことは記憶の鮮明さに差分があるが、私は割と記憶が残っている方だと思う。

お稚児さんで私にメイクをする知らないおばさんにお母さんが私を抱っこで引き渡した時の絶望感を結構覚えている。私はまだしっかりと話すことができない時で、お母さんに抱っこされて地域の公民館に来ていた。入った時から私は嫌な予感を持っていたのを覚えている。

いろんな人がざわざわいて、それからお母さんたちと一緒に知らない人のたくさんいる所にいて、それから知らないおばさんが私に笑いかけ、お母さんはその人に私を引渡した。

やっぱり、私を置いて帰らないで、私を離さないで!って感じに絶望した。この人私に酷いことをするんだ、と言って、大泣きした。それをお母さんは私を見て笑ったことでさらに絶望した。おでこがキリキリ痛んで、ほら、この人めちゃくちゃひどい!ってわんわん泣いた。

イメージは尖ったもので傷を付けられている感じだったことを覚えている。このまま私はこの知らないおばさんに連れていかれると思っていた。

その時の写真が残っている。不貞腐れたような顔で、おじいちゃんに抱っこされて、白い顔に赤い文字で「大」みたいな文字が書かれていた。大きくなってから、あれが尖った割り箸ではなく、ただの筆だったことを知った。多分だけど、朱い墨が冷たくて、痛みに感じたのかもしれない。母親がいうには、私が2歳の頃の話だ。写真に残っているようなお外でおじいちゃんに抱っこされたような記憶はないが、ともかく、母親が私を知らないおばさんに引渡したことは鮮明に覚えている、大きな声で、やめて!って叫んでいるのに、お母さんは笑っていたことが印象的で、本当に悲しかったことを覚えている。

 

一番古い記憶が、母親に絶望。だった。なんか笑える。その後の記憶はまちまちだが、結構色々と記憶に残っている。