知っている場所と忘れた場所

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元々は、ライヴの感想を書くためのブログではなかった。最初描き始めたきっかけは別ブログで、サーフィンのことを書いていた。


何処の海に入って、何ができたとか、波がどうだったとか。でも、始めたばかりのサーフィンなんて、立てたとか、何本いい感じだったとか、そんなことだ。


そのうち、仕事が立て込んできて、海へも年1で行くくらいのていたらく。昔から好きだったライヴの感想を書くことが増えてきた。ライヴにしか興味がないわけではないものの、手軽さでいうと最も手軽で、最も身近であることに間違いない。



生まれて初めてライヴハウスへ行ったのは14歳のころだった。ホールではなく1ドリンクのオールスタンディングの、キャパ2-300人だったと思う。友達と2人で、化粧なんかして、ドキドキしつつ行ったのを覚えている。



最近、その思い出のライヴハウスに行く機会があったのだが、最寄り駅の記憶すらまともになかった。あの時は、お酒の出る場所で、化粧して、タバコの煙の中で、ライヴを観ている自分が大人になったような気分だった。


しかしながら、思い出の断片は頭の中にあるものの、現実の世界には1mmも転がってなどいなかった。初めて来た場所のように、新鮮でよそよそしかったな。


まるで、お彼岸に里帰りした地元のクソ田舎の町のように、よそよそしく、時間の止まった寂れた雰囲気を醸していた。全てが灰色に覆われていて、どこかので叩いているドラムの音と、時折走る単線の電車の音だけだった。


勿論、灰色だったのは曇り空のせいだし、人がいないのは田舎の日曜のせいだ。お彼岸だったので、そこここに新しくお供えされた綺麗なお花が彩っていた。田んぼには彼岸花も咲いていた。



懐かしいはずが、親愛の気持ちはあまり浮かばず、ただ、田舎だなぁと心底感じた。実家はそこにないので、お墓まいりにしか戻ることはないけれど。虫が多くて、戦々恐々。


後、十数年振りに訪れた、大久保のイズミヤ。わかる人は少ないと思うけれど、昔のままで。施設も何もかも昔のまま。駐車場が無料開放になっててびっくりした。入口のバーは開きっぱなしで無人だったわ。


ペットショップの前の地面が昔と変わらないタイルで、店は変われど、区画と通路の配置は同じだったので、家族で来れたのは私的にちょっとこみ上げるものがあった。お父さんはいないけどね。


私にとって、お父さんはお父さんであり、お母さんはお母さんだ。2人の性格がどうだとか、どんな人だったのかなんて聞かれてもよくわからない。一時期疎遠になっていたし、一緒に暮らしていない時期も長い。



最近、お兄ちゃんと話をしていて、お母さんの性格的に…と言われ、ピンとこなかった。

会社で、お父さんみたいな人がタイプ?と聞かれ、それもよくわからなかった。


尊敬できて、安心感があって、説得力があって、虫を怖がらなくて、面倒見の良い人が好きだ。

多分、父もそんな人だったなと、今思う。


カラーズ

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