海に流した

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サーフィンをしたことのある人ならわかると思うのだが、初めてサーフィンをした日の筋肉痛や、身体の痛みの話。


サーフィンを一年以上振りにやった。いつもは役に立ってはいないものの、付け焼き刃の筋トレなんかを行なって臨む海開きに、今回はただの日常だけで、挑んでしまった。別に自分の筋力を過信したわけでもないし、自力を試そうだなんて思ったわけではない。


ただ、忙しい日常にかまけて、筋トレなんてしなかっただけだ。それに、ちょっと筋トレなんてしたところで、パドルで使う筋肉を鍛えるのはなかなか難しい。

パドリングで使う筋肉を鍛えるのは、パドリングが1番なのは間違いない。


とはいっても、初めてサーフィンをしたあの日の筋肉痛なんて2度と味わうことはない。やっぱり最初が1番痛い。

まず、ウェットが脱げずに脱がせてもらった。お昼ご飯を食べるのに手が震えていた。全身ギシギシで、翌朝起き上がるのに苦労した。仕事中もギシギシ身体中から音が鳴るほどだった。


こんなことはまずない。ウェットだって自分1人で脱げるし、筋肉痛だなぁと感じながらも、ウェットを洗って、掃除して、洗濯して…日常は問題なく過ごせる。


ただただ痛いだけだ。ブラジャーのホックが1番辛い。のは私だけ?ちょっと息を飲む痛さ。懐かしいこの痛みと馴れ合って、海を思うのだな。


海を楽しむ余裕はあんまりなかった。私、意地でサーフィンしている部分があって。パドルがうまくできなかった、テイクオフがうまくできなかった。すぐにバランスを崩してしまった。クソ波にしか乗れなかった。そんなことで、するっと海から上がることができなくて、あと一本、あと一本なんてやっているうちに、体力がなくなる。


岸に戻るパドル分だけ温存して、上がるようにしている。こないだできなかったから、昨日できなかったから。ただの意地でやってるだけかも。別に楽しくはない。近頃は。


数年前から楽しいのかどうかわからなくなってきているのは確か。

あのうまく乗れた時の興奮と快感は針が振り切れる感じだし、またあの体験をしたいって思うけど、あんなに感動的だったのは生まれて初めて、うねりからテイクオフできたあの初めての時だけだった。


初めてだったから、あんな素晴らしい体験をしたのかもしれない。私1人だけの世界のようだった。夢のようだった。雑音が消えて、キラキラした海と波と太陽の光だけだった。


こんな感覚にも慣れがやってくるのか。勿論、足の下で水の感覚を捉えることなんて他にはないことだし、波を滑り降りることも他では経験できない。あのお腹の底から込み上げてくる光るパワーなんてなかなか出会えないのかもしれない。


光っていたかは不明なんだけど、まさにそんな感覚だったのは間違いない。映画みたいにドラマティックだったな。


いつまでも上手くならないから、ハマるんだって言われたけど、いつまでも下手くそだからへこたれるんだ。とも思う。少しくらい、ちょっとずつご褒美が欲しいです。



好きな気持ちも揺らぎやすいし、ちょっとしたことで、すぐに覆る。でもサーフィンをしている時って、いつも悔しい思いをしたり、イライラしたり、熱い想いを抱いていたりする。主に自分に。不甲斐ない、情けない。そりゃ楽しくなんてないのかも。でも、総合的には楽しいし、身体を動かすことは、やはりスッキリできる。ガス抜きにはいい。


色んな日々を忘れ去って、自分と波だけを考える時間なんてあんまりないもの。それが、楽しいか悔しいかなんて、あんまり重要ではないのかもしれない。集中して、自分の体を使うことで、いつもと違う体験ができているから。


海が好きだってことも大きな理由。海へ行って波待ちしているだけで、本当に来てよかったなって思える。沖にパドルして、岸に戻っては、沖へパドルして…何やってんだ?と我に帰ることもあるんだけど。波間にプカプカ浮いてるだけで、ズルっと脱皮した気分。



海は大きいし、美しい。波をくらうこともあるけれど、それでもやっぱり気持ちをつるんと洗い流してくれた。クソ波やったけどな。



そうだ、奈良に行こう。


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the strokesのアナログなんだけれども、やっぱりかっこよかった。前に聴いたのだけど、改めてかっこよかった。じわっと。やっぱりなって感じ。


やっぱり。まぁ、確かに。聴き飽きた人もいるんだろうけど。私も一時期聴き飽きた。でも、やっぱり、いいな。。嬉しくなる。


the black keysも、試聴してて思ったけど、どれもかっこいいな。ほんと最近聴いたとこ。全然知らなかった。




昨日の空はきれいだった。


いつか、あの日の帰り道に、奈良から生駒山を越えて大阪に戻る夕暮れ時の電車から、見えた夕焼けがとても綺麗だった。夏の暑い日だったけど、昨日同じように、窓から見えた夕暮れの空も、あの日のように綺麗だったな。


夏の日に乗っていたのは近鉄だったかな、昨日は中央線から空を見ていた。もう、冬の空だった。同じ日には戻れないし、あの時に無くしたものと、昨日に崩れ去ったものは、似てはいるけれど、全く別のものなんだなと思う。


空はいつも綺麗に見える。透き通って、薄い青とオレンジにピンク。くっきり残る影に光る雲。車で帰る時もそう。生駒を越えたところの道や空、何度も見た景色で、いつも、物悲しい、後ろ暗いもやもやを抱えて奈良を後にする。


ライヴ帰りの時だけは、こんな思いを抱かずにいられるな。

私にとって、奈良は苦しい思い出の街になりつつある。近鉄でも中央線でも、JRを使っても、車であっても、特別な思いがいつも渦巻いている。



何かから逃げるような気分で、奈良から帰ってくる。逃げるのは後ろめたい、だけども気分が重い。奈良は寒い。好きだけど、大嫌い。



Goodbye Terrible Youth

Goodbye Terrible Youth


LOVEレコ発

生まれて初めての双子玉子だった。


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AgeFactory / LOSTAGE @neverland on 11/22/2016


AgeFactory


初見。loveのレコ発。奈良のバンドで五味兄がプロデュースしたそう。


若いバンドだったのだけど、かっこよかったです。苦手な感じだったらどうしよかと思っていたけれど、さすがにそんなことなかった。

力強いバンドでした。

わざわざ力強いだなんて言う必要もないのだと思うのだけど、若いバンドってだけで、あっち系じゃないかと身構えてしまうところがあって、わざわざ言ってみた。

弱々しい、鼻づまりの、線の細い感じのバンドではありませんでした。と。


誰ってことはないのだけれども、あっち系が苦手だったので。少し、聴く人によっては懐かしい感じになるのかもしれない。私は過去にTHE SALOVERSを聴いていたことがあるのだけど、彼らを懐かし系のロックと言われたことがあったので、人によってはそうなのかも。


THE BLACK KEYSを懐かし系って言ったりするもの?よくわかんないけど。


私はスチールっぽい音より、木っぽい音が好きです。ステンレススチールの鉄壁のシステムキッチンよりか、ETの映画に出てくるお家の中みたいな音が好きです。さっぱりわかりません。ETをちゃんと観た記憶がありません。

でも、そんな感じです。


声がハスキーでかっこよかったし、全体的にともかくよかったです。

良かったので出順が後なのに先に書いてしまうほど、かっこよかったのは確か。また観たいと思った。ふわふわした感じのない、ガツっとしたバンド。


グレムリンに出てくるお家みたいな音でもいいかも。グレムリンは去年観たから、なんとなく合ってる気がする。雰囲気。


LOSTAGE

???

戦争

新曲

SURRENDER

ひとり

手紙

海の果実


なんか忘れた。記憶がない。かっこよかったのは確かです。仕事終わりだったので、途中だったのか1曲めから聴けたのか不明。

新曲やっぱりいい。くるくる踊る、らんらんらん歌うみたいな。



ライヴ行くのやめようかなとちょっと思った。別に理由はないねんけど、見過ぎた気がする。飽きたわけではないと思うけど、少し間を置いてから観たら、セトリにも新鮮さを感じるのかもー?


それはないか。でもわかんないけど、私的にはもうLOSTAGETHE STROKESと同じくらいには別格で、飽きるとかって感じではない。もういいや。と思ってしばらく行かなかったこともあるけれど、なんとなく行きたくなって。をくるくる繰り返してる。


NO GRACE [12 inch Analog]

NO GRACE [12 inch Analog]

僕の背中を押したんだ。

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あれから、何日経過したのだろうか。

気づけば2ヶ月に差しかかろうとしている。9月に買ったGEZANのnever end rollを実はまだ、ほぼ毎日聴いている。


今はもう、全てが耳に馴染みすぎているので、はたと気付くとBGMと化していて、殆ど聞き流しているのではあるが。当たり前だ。何日も何日も聴き続けておいて、新鮮な気持ちでい続けるなんて無理ってもんである。



違う曲も聴いた。確かに、ちょこちょこ。

LOSTAGE.bloodthirsty butchers.bon iver.the lilac time.MGMT.queen.坂本慎太郎とか。

結局またgezanを聴いていた。今日も。夏のようなアルバムなんだけども、夏に想いを馳せるくらいならいつでもいい。


あんなに沢山いた音楽好きなんて、今はもう殆どいない。ライヴへ行き続けている奴なんてもう。

新たな知り合いに聞かれる、誰のライヴに行っているの?って質問に辟易する。音楽を言葉で、しかも音楽を聴くだけの私に、説明させるなんて酷だろう。誰のライヴなんて言ったところで、わかりっこないし。説明できるのはロック。インディーズ。又は洋楽も。なんていったところで、距離はとにかく縮まらない。


音楽は大好きだけど、こーゆう会話は本当に嫌いです。

音楽はそんなに詳しくないから、メジャーなやつしか聴かないかも。とか言われるのも。

マイナー好きなの?とか言われるのも本当にうんざりです。


何、メジャー感出してきてるのだろう。メジャーてなんや。マイナーってなんや。少なくとも君より全員有名だろう。君がメジャーなんじゃなくて、君がただ聴いているだけの彼らが有名なだけなんだろう?


まあいい。音楽の話を広げるなんて無謀過ぎることは既に立証済みなのだから。この世には腐るほどの音楽がある。人の好みも腐る程雑多である以上、偶然に隣り合った私たちの音楽の趣味が合致する確率なんて途方もなく低い。

別に構わない。好きな音楽が合わなくたって。と私はいつも思う。映画の趣味が合わなくともどうだっていい。合うやつなんていないのだから。


どうして音楽の趣味が合うこと、映画の趣味が合うことに重きを置く人がいるのだろう。そんなに重きをおくのであれば、もっと沢山音楽を聴いて、沢山映画を観ればよいではないか。


メジャー感が出てれば確率が上がるからいいのか?大体、メジャーってほんとになんなんだろう。


音楽なんて聴かなくなれば、急にどうだってよくなることだってある。だって音楽なんだもの。音楽以外ではないから。

私は毎日イヤホンから流れる音楽を聴いて歩いている。仕事の行き帰り、待ち合わせまでの道のり、お出かけの最中。1人で外にいるときはいつも音楽を聴いている。


道を走る車の音も、地下鉄の音も、店のBGMも、おかしな人に話しかけられる意味不明な言葉も、私にはなんにも聞こえない。お会計するとき、接客される時、ご飯食べる時、お茶するとき、道を尋ねられるとき。そんな時はイヤホンを外しているけれど。


そう考えれば、最近道で、普通の音を聞くことなんてほとんどないな。

聞こえないふりをすることが有用なことも少なからずある。




泣ける。

僕は選ばれなかった。選ばれたとしても、怖気付いただろう。でも、彼は違った。巨大セットをメイクした。それが僕の背中を押したんだ。

LOSTAGE×ZAZENBOYS

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2016/10/28 

LOSTAGE & ZAZENBOYS

NEVERLAND


とっても楽しみにしていた。ある彼が向井秀徳が大好きで、それをきっかけに既に解散していたナンバーガールや、ザゼンを聴いたのが最初。


なんかめちゃ衝撃的だったのは覚えている。曲や音楽性がどうのこうのということは特になんにも思いつきもしなかった。ただただ日本人って不思議。なんて感想だけ。


TVで流れるような音楽に嫌気がさして、友達の影響も多大だったため、洋楽しか聴かなかった。日本にもインディーズなんてものがあるとは思わなかったんだな。そもそもそんな風に区切られているからわかんなかったんだろうけど。

良いなと思うのは今も昔もあんまり変わらず。the strokes.YUCK.MGMT.phoenix...


ジャンル分けがよくわからんけれど、ガレージロック、サイケ、シューゲイズ、エモみたいな辺りなんだと思う。違うのか?sonyWALKMANのジャンルにはインディーズがあるのだけど、そういうもの?


ザゼンはびっくりした。なにこれ、なになに?日本人の多くはこれを聴いているの?好きか嫌いかも判断し兼ねた。初めて聴いたから。whirl wind heatみたいに熱量で押し出しています!的な感じなら、おお!って思えたのだと思う。


でもザゼンてそんなんじゃない。もっと余裕があるし、熱量をコントロールできる冷静さと技術があって、それで、こんなにもなに?なんだろう。いつ聴くの?どんなタイミングで聴けばいいの?と誰かに聞きたかった。


しばらく聴いていたけど、もっとメロディがある方が良かったのだろう。あんまり聴き続けなかったな。


あれは2014年だったのか。名村造船所跡地で生活が開催されたのは。あの日に初めてナマザゼンを目撃した。音源ではよくわかんない。などと思ったものだが、ライヴはめちゃ楽しかった。あの余裕が、かっこよかった。誰とも違う雰囲気を纏って、指揮官みたいで。違う、指揮者か。


奈良ネバーランド新大宮駅にある200名超でソールドくらいのところ。私は絶対に行こうと思っていたので、早めに買っていたチケットのおかげで何故だかずいぶん前で見ることができた。


LOSTAGEが先だと思っていたら、zazenからだった。ステージのセッティングがLOSTAGEでなかったので、主催イベントだっけ?と思った。違うよ、ネバーランド20周年だったよ。

小さいステージに大人が、4人でタカタカ…かっこよかったし、楽しかった。友達にザゼン見てさって話をするとみんな、まだあるの?って言うの。あんまり露出がないからなのか。kimonosは好きだったよ、私は。


セトリはわかんないけど、楽しくって、みんな楽しそうで、私もすっごい楽しかった。もっと見ていたかった。ザゼンだけ見にきた人も沢山いたと思う。ザゼン奈良は初めてだったそう。素晴らしいな。



LOSTAGE

SURRENDER

母乳

my favorite blue

BLUE

楽園

戦争

ひとり

新曲

手紙

good luck

---------

RED

2:50


red久々に聴いた気がする。この新曲って多分新曲やったと思うねんけど。溢れそう、溢れそうってやつじゃなくって、LOSTAGEぽい明るさのいいやつでした。なんて歌ってはったかな。忘れちゃった。


めちゃ、楽しいライヴでした。本当に。でも途中で、なんでこんなに近い間隔でLOSTAGEを観ているのかわかんなくなりました。我に帰ってしまった。10月結構観たなと。2マンは観るってルールに基づいているからなんだけれども。


 それに、どれも観たかったから、問題はないが。ライヴばっかり行っている場合ではないなと思いつつ。でも行っちゃうんだなぁ。やだなぁ。



11月の始まりの季節には。


ZAZEN BOYSIII

ZAZEN BOYSIII


slaughter beach

SLAUGHTER BEACH

SLAUGHTER BEACH

こないだタワレコに行ったら、slaughter beachがあって、コメントは絶賛していた。試聴した時には、おおー!と思ってみたが、お家で聴いたら、めちゃポップなかんじだった。


や、最初からポップだったんだけど、もう少し違って聴こえた。

言いがかりなのはわかっているけど、試聴機はお家で聴くことと大きく違うのだな。


コナンモカシンとどう違うのだろうと思って、コナンモカシンを聴き直してみた。

まぁ、違うわな。そりゃそうだ。  

ただ、slaughter beachはいい感じで、本当に。こういうのを聴きすぎたんだろうな。目新しいものしか鮮明に思わないっていうのは。ちゃんと聴いたら、もっと。

今はbon iverの方が気分だったりする。


店で聴いて、他で聴いて、あれ?ってのはよくある。枚挙に暇がない。気分の問題だな。なんでも全部。

曇っているからか。それか牛乳を撒き散らしてしまったからかも。冷静に拭き上げたが、胸中穏やかとは言えず。公にできない言葉で毒づいてた。心の中で。



山王美術館

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やっぱり、日本画とか水墨画はいいわねー。なんて色々と話して感想を述べ合いながら70近い方々が4.5人で横山大観の絵を観ていた。なんか、いいわねー。なんて私も思ったよ。おばあちゃんになってからお友達数人と美術館に行って、ランチなんてしたりして。微笑ましい。



テルモントレーグラスミアハウスにある美術館に行ってきた。めちゃこじんまりしていて、ともかく、ゆったり。人も殆どいず、満足した。


点数自体は非常に少ないので、のんびり観てもすぐに終わります。

写真NGだったので、、ネットを漁ったけれどなくて。紅梅は大観が幾度となく描いたのか、沢山ありますが、今回のものは見つからず。

紅梅の色や、鳥、枝振りにお花の色味を眺めているうち、なんかちょっと泣きそうになった。

大きな枝の流れに背いて、ちぃと垂直に伸びた小枝に掴まって、小鳥が本物の様に優雅にでもなく、必死にでもなく、キレイな目をしてちょこんといて。

枝に加えられた、ウグイス色のような、苔のような色と、余白の紙の色。枝の上の方に丸々として、まだ柔らかくなり始めたばかりのような蕾の色。大きな紙に、大きく、または控えめに咲いている紅梅のシルエットを見ているうちに、なんだか泣けてきた。

綺麗すぎたのかもしれない。


旭日は紙いっぱいにまんまるの大きなおひさまが一部の曇りもなく光っていて、朱の色を惜しげもなく輝かせている。力のある、引力のある、毎日に感じる陽の光を1枚に閉じ込めたような存在感のある絵だった。


実は横山大観は有名なので名前だけは知っているものの、殆ど何にも知らない。シルクに描いていたり、屏風になっていたり、とてもきれいだった。

何を思って描いていたのだろう。



目に映る色は、照明の色彩によってずいぶん左右される。私の見た色を正確に、印刷することはできない。何故なら、私の見ているこの色が、元々発色している色味と相違ないかわかりはしないから。


光源の種類を限定して、いちいち色味を確認して、インクや紙を決め、印刷したり写真に収めたり。そうやって、画集やポストカードは作られている。

でも、私が美術館で見た色彩は、印刷の際に決められている光源とはおよそかけ離れている。


実際に見るものは、脳みそが判断し、見えていないものまで補填してしまうし、私には見たいものしか目に映らない。


写真や本だけじゃ、やっぱり限界がある。その空気や、存在感も含めて、体感できるものはしてゆきたいなと、やはり思う。



李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)