その昔。
京都で活動していたバンドの歌にありました。何を捨てると歌っていたのかは既に記憶にありません。私が好きで通っていたというよりも、当時仲良くしていた女友達がバンドのVoと仲良くなるためにライヴに通い、それに付き合って打ち上げだのなんだのと共に過ごしていたのだった。
夜明けの青山コーヒーなんてよい思い出でもある。何を考えるでもなく、いろいろ沢山考えあぐねて毎日を過ごしていたなあ、なんてエモイ気持ちになる。
今はそんなことがあるのかないのか知らないけれども、当時は会費なんてものを払い、バンドの打ち上げに参加することがあった(おもにV系に)。たっかい会費でライヴハウスの専用バーみたいなとこで、ミックスナッツ的なもので一応飲み放題なんて感じだった。私が知っているのは1バンドのことだけなので、他はよく知らない。今でも仲良くなりたいがために通っている人もいるそうなので、それだけでやっぱりなんか色々思い出すよね。やっぱりね。
今なおそのようなことがあると聞いて懐かしい思い出いっぱいです。
そんなことはどうでもよい。
今年の目標はしたいことは全部やる。なのだが、手始めに行ったVIO脱毛はもうすでに殆どがつるつる状態で、パカッと足を開くことに抵抗も羞恥もなくなってきたところだが、第二弾の歯列矯正に踏み切った。
これも、脱毛同様に定期的に通うのだが、問題がなければ月1程度でよいそうなので、よかった。私の歯列の関係で一部矯正ができず、全体矯正を行うことになり、期間も費用も大幅に増加したものの、他に手はないので、致し方ないと思っている。正しい決断だったと私は考えているものの、契約をしただけなので、今後の治療によっては泣き言の連発かもしれない。
痛くてご飯が食べられず、離乳食を食べたなんてことも聞くので、今は元気でも今後はよれよれに拍車がかかっていることもあるだろう。
・気になることは全部解消する
・したいことは全部する
・いらないものは全部捨てる
・見たいものは全部見る
・めんどくさがらない
それもこれも婚約解消に端を発しているのだけれど。
私は結婚を決めてから、何かと想像上の結婚生活というものを考え、他の人たちが実践しているであろうことを勝手に想像して、自分の今後の景色を作り出していた。
こうしなきゃいけないだろうとか、こうすべきだろうとか。そんなことばっかり考えていたし、もうできないこともあるのだと考えるようになった。出産を希望するのなら、制限があって当然だし、私たちには時間がないと考えるようになった。仕事についても同様だった。考えれば考えるほど、仕事もつまんなく負担だと思うようになった。毎朝のお弁当や、彼との出勤日の相違や、職場での立場の変更などを考えるだけで気分が塞いだ。他の人たちがどう考えて、どう生活しているのかなんて結局は外からだけではなんにもわかりっこないのに、きっと日本の標準的な家族はこうだろうなんて思い込んでいた。誰の入れ知恵なんだろう。
人生の墓場なんて表現した人もいるだろうが、私にはわからない。結婚そのものではなく誰とともに暮らすのかで勿論景色なんて変わるのだろう。私には彼ではなかったという話だ。
婚約を解消したそのタイミングで私には大きな窓がパカッと開いた気分だった。嫌々ながら通っていた仕事は突然やる気なんてものが出てきたし、楽しくて仕方なくなった。毎日の連絡や2.3日おきの電話や、週1のデートなんて恐怖のルーティンから脱したのも大きな収穫と感じた。
やりたいことがなんでもできるのだと錯覚した。誰にあってもよいし、飲みに行ってもいい。誰と電話もしなくってよいし、日曜に休みを取らなくってもよい。
全てをそぎ落として生活を改善していこうなんて思えた。こんな服なんてなくてもいいなと思って、沢山捨ててみた。いらない本だとかなんだとかこまごましたものを捨てた。手紙とかいろいろ。プレゼントはアクセサリーに統一していたので、捨てるものはない。使いやすいし、劣化しにくい。10K以上か白金に限定していたのが功を奏した。
これいい感じ。