みみにいわかん

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ある日のライヴで、あれは結構前のLOSTAGEのライヴだった。neverland だったと思うけど、違ったかもしれない。セッティング中に、ステージ左側のスピーカーからノイズのようなパチッというような破裂音に似た音が鳴り、そのまま私の左耳に吸い込まれ、痛みを覚え、目眩が起きた。



実はあの日から左耳には不安がある。あれから私は向かって右側に寄るようにしている。誰のライヴでもいいが、大音量は耳を傷つけるらしい。それに私は普段からイヤホンをつけて音楽を聴いているので、本当に耳に優しくない。


ずっと前から音の聞こえ方に違和感を覚えていた。といっても上記のライヴが原因ということでもない。だってもう覚えていないし、幾度となくライヴへ行っているし、誰のライヴかなんてわからない。湯船のお湯の汚れが家族の入った後で、誰の汚れかなんて判別できないのと同じで、誰の音が耳に優しくなかったかは判別できない。


まぁ、cloud nothings終わりで耳が変だったのは確か。翌日も変だったし、ともかく仕事が休みだったので重い腰を上げ、耳鼻科へ行ってみた。


過去に耳は早めに行かないと難聴のまま固定するんだよ、だなんて、言ってくれた人もいた。それも半年以上前のことだね。健診の聴力検査は異常なしだったので、正常範囲内であることはわかっている。


でも怖かったのも確か。耳に優しくないし、日々聞こえにくいのはわかったし、トイレの水を流す音がいつもと違って聞こえ始めたあの日から、左耳がおかしいのはわかっていた。あの日がいつの日かはわからないけれど、随分前のことなので、もう治らないのかも。


それでも今回のことが決め手になったのだとしたら治るのかも。なんて思いつつ、病院で聴力検査を受けた。左耳が高音と低音で右に比べ聞こえていなかった。勿論、正常範囲内で。



投薬で治るならいいけれど、あんまり期待していない。だって原因がずっと前なら遅すぎるもの。でも今回がだめ押しだったら…なんて希望の上で薬を飲んでみる。




病院の帰り道、絶対ライヴ用に100均でいいから耳栓買って帰るぞ!と意気込んでいたが、電話がかかってきて話しながら帰宅して、私は手ぶらだった。


この世に絶対なんてありえないな。と思うよ。




春の花

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ちょっと自宅でのんびりする時間ができたので、眠くて眠くて耐えきれず20分だけ目を閉じた。もう本当に寝ても寝ても眠い。


ギリギリの時間に家を出て、somaへ向かった。cloud nothingsを観るために。somaは初めてだったのだけど、JANUSの一本南の筋で、も少し堺筋寄りな感じだった。


初めてだったので、見過ごすかもしれないと思ったけれど、すぐにわかった。もう少し広いところかと思っていた。意外にこじんまりしてたな。


cloudnothingsは初見。どんな人たちかも全然知らなかったから、ちょっと意外な感じがしたな。メガネかけているとか、髪が茶色いとか。イメージは黒髪で眼鏡なし。だったから。全員短髪のイメージだったし、服ももっと白っぽいのかと、勝手に思ってた。



なんのイメージだったのかは謎。


かっこよかった。でも一瞬で終わった。ええー?早い!ほとんどmcもなく、怒涛のライブだったな。久々に耳が聴こえなくなった。本当にやばいかも。これから耳栓持って行くことにしよう。難聴になってしまう。既に始まっているし。


それにしても、眠い。ぱちっと目が開いていたのはライヴ中だけやったわ。



雨は線

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冬が終わったので、わくわくする気分になりつつあるのだが、なんだか気力が足りなくて、ぷすぷす鳴って、止まっちゃいそうである。



疲れというものは、眠気というものは、全てを奪うのだなとつくづく思う。起きる前からもう眠いし、出かける前から帰りたいし。実家でお布団を敷いていざ眠るぞ!って夢を見ていて目が覚めた。眠すぎる。


薄ピンクの桜の花が青い空に広がっていて、周りのビルと背の低いこどもたちの間で大きく咲いていた。街の空は狭いだなんて思ったことがない。でも、田舎の空を広いって思うのはそういうことなのかな。海で見上げる星空はこっちにせまってくるようで、低く広がる天球のように圧迫感がある。降り注ぐような星空の存在感か。


溶けて滲んで飲み込まれそうだ。暗くて見えないことはいないことと一緒なのか。暗闇のぬるい真水に飲み込まれる感覚がこわい。いつまでも硬く手を握っていた。2人で飲み込まれたら怖くないのかな。


暗闇の中で目を閉じるのと、暗闇の中で目を凝らして暗闇を見つめるのと、やっぱり結果は違うのか。目を閉じて、耳を澄ませて、手を握って、何にも見えない世界で、波のザブザブいう音ではなく、唸りを上げる轟音を聞いていた。叫び声のような。



お釈迦様の誕生日には甘茶をかける。あの年、東大寺にいたなと思い出した。春なんだなと、思った。桜の咲いた鹿のいる町を、夏に、大仏殿で居合わせた法要を。桜の花や、青い空、吹き抜ける風に、唸る波音、見上げた月にも、坂道を登る自転車にさえ、つながる記憶とにおいがある。


京都にも、パリにも、大阪にも、ロンドンにも、それにつながる記憶がある。どこにでも記憶のかけらは落っこちていて、ふとした時に一面に広がり突き抜けていく。


雨の落ちる線を見て、雨は冷たいのか、またはぬるいのか、そんなことを考えていた。

vibrationに意思とか愛をぶつけると

またチケットを買ってくるのを忘れて帰って来てしまった。コンビニで発券するだけなのに、忘れて来てしまう。早く買わないといけない。cloud nothingsが来日するのをすこっと忘れていた。

しかも日が迫っている。



日本のインディーズバンドのチケット代に慣れてしまうと高いなあって感じるが、3マンとかで、2500円とかちょっと安過ぎる気もする。

どうなってんだか。


こないだneverland でAIMING FOR ENRIKEを観てきた。ああいうのを聴くと歌なんていらないと思ってしまう。一時期、インストしか聴かない時もあった。でも、人の声っていいなって思うから歌を聴くこともある。


lostage8ottoと3マンだったのだけど、8ottoがね、やっぱり楽しかった。多分、熊本チャリティライヴでneverland に出てた時以来で、めちゃ楽しかった。


なんか、vibrationに意志とか、愛をぶつけたら、僕らになる。らしい。一瞬、みんながきょとんとして、も一度説明をしてくれたけど、詳しく言ってくれたわけではなくて、振動とか波動に意志とか愛をぶつけたら俺らになんねん。って話をされていた。

ただの有機物ではないってことだ。

人間の値段を計算するっていうのがあるドラマのくだりであったのだけど。値段のつけ方がわからないために、原材料から割り出していたなと思い出した。


水何Lに、塩がどのくらいとか、そんな感じで、計算したところ、いいとこ数千円だったらしい。まあ、昔に見たドラマの一部だったから定かではないけれど。



lostageのセトリを途中まで覚えていたのに忘れてしまった。ひとり、戦争、MFB、blue、新曲、新曲、手紙だったかな。わかんない。


次回のアルバムは流通させないとか。なんかYouTubeとかで観たりしても、結局何にも伝わらなそうで。きっと音源だけでも半分伝わるのかなって思うけど、私が初めて観たときの衝撃を誰かにも味わってほしいなと思う。


こんな日本人のバンドがあったんだ!って感激した。かっこよすぎて、にわかには信じられなかった。大阪で観て、すぐに奈良にも見に行った。かっこよさの再確認をするために。


ライヴ会場で売るくらいでもいいような。とか思ったけれど、一定数はけたらもう売れないかもしれないか。お金払ってチケットを発券して、実際に当日会場まで足を運んで、ライヴ観て、物販並んで財布出して、お金払って、音源を買うってハードルを越えるのって、レコード屋さんまで行って買うのと、ネットで買うために、個人情報を入力して、届くのを待つのってどのハードルが高いんだかと思ってしまう。


そもそも買わない人もいるだろうし、いらん人もいるやろうしね。それはなんでもいい。意思だからな。


人間だからな。



Life Without Sound

Life Without Sound

春の夜歩く


夜歩く君と、工場の脇の道を…云々


桜の咲く頃に、夜歩くと思い出す。曲はほとんど覚えていないけど、言葉はポツポツと。


私は急性胃腸炎を繰り返して、これまで体重を維持してきたのだが、前の彼とお別れしてから、急性胃腸炎地獄から脱出した。ほんとに急に、胃腸炎にならなくなった。


風邪もひかなくなったし、体調不良の割合が減った。なぜかはわかるようなわからないようなだが、よいことだなと改めて思う。

健康が1番。そのせいで、少し太ってしまったのだが、副産物で胸が大きくなった。まぁ、これから夏に向かうので、少し絞ろうと考えている。考えているだけ。仕事が忙しすぎて日々ヘトヘトなので、気力も体力もない。


君の目だけ銀色で、その銀色が言う。もし私が死んで幽霊になってしまったら、こんな夜の闇はもう、怖く無いのかしら。

だったかな。


私は夜が怖い。暗いところがこわい。1人で暗いところに行くことができない。もう大人なんだけど、怖いものがたくさんある。人がいれば大丈夫。ホラー映画では数多くの人間がいれば、幽霊だって晴れがましいからか、出てこないでしょう。


ゾンビと虫は人がどんなにいたって出て来るけれど。虫が潜んでそうな場所と、ゾンビが飛び出てくる場所は似通っている。どっちもこわい。


一緒にいる人には、虫もゾンビも幽霊も怖くも無いし、見たこともないよって人がいい。私も最近はなんにもみないけど、クソ田舎の実家に暮らしていた時には、色々怖い思いをしていた。多分、あの場所に問題があるんだと思うけど。


あのお家で怖い思いをしていたのは私と母と兄だった。特に階段が怖くて仕方なかった。新しくて、階段にもしっかり明かりのあるお家だったのだけど、ともかく怖かった。夕方から夜にかけて、怖かったな。いつも怯えつつ駆け上がっていた。

気を抜いて、ぼんやり階段を降りていると、声が聞こえた。数人が大事そうな話を相談しているような声。何を言っているのかまでは聞き取れない。階下の家族だと思って駆け下りると、ボリュームを、最小限に落として母が1人テレビを見ていた。


母もよく声を聞いたらしい。いつも誰かが相談事をしているような声だった。男女もわからないな。たまによく眠れなかった。金縛りにあったり、人の歩く音とか。ともかく夜が怖くて、カーテンの隙間からのぞく夜が本当に嫌いだった。

自転車を置いてる場所も嫌いだった。いつも怖かった。

1人で夜中リビングにいてしまうと、やっぱりこわかった。テレビの音量が勝手に変わったり、クーラーが勝手に着いたりした。


そんなこともお家を離れてから、一度もなくなった。実はわたしってもしかして霊感なんてあるのかもと危惧していたが違った。多分あの場所が悪かったんだなと、今は思う。


母とも話す。あのお家、なんかいたよね。って。子供の頃にも、大人になってからも、あの場所では見たり、聞いたりした。

家を出て本当に良かったと思う。個人的に私は地元愛が全く無いことに、この経験も一役かっている気がする。


誰か一緒じゃないと真っ暗な部屋で眠れないことを考えると、やっぱり元々怖がりなんだろうな。本当は夜、トイレにだって行きたくない。クソ田舎の暗い夜を自転車で帰るのが本当に怖かった。暗い田んぼの際限なく暗い空、なんにも見えないのに見えそうな夜が怖かった。


旅行とかで、田舎の夜道を歩くときは、お化け屋敷に行くよな心構えを持って、誰かと一緒じゃないと歩くこともできない。田舎の夜は暗いし虫もいるし、危険なんだ。


都会の夜は人が多くて、実害があるかもだけど、あのうすら怖さがない。明るいってだけで、楽に歩ける。しばらく私は夜の暗さの怖さを感じずに生きている。

怖く無いって、楽チンだよ、ほんと。


SISTER STRAWBERRY(紙ジャケット仕様)

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ソプラノレーザー

脱毛が完了した。

全6回で、結果的には殆ど無い状態。5回目にびっくりするほどつるつるになった。4回目までは、毛穴状況を試そうと毛の伸びるままに任せたところ、これまでとどれほど違うのか?くらいに生えてきた。

ちょっと焦ったくらいだ。

でもVIOは勿論、既に薄くなっていて、iラインなんて生えてないよな感じだったのだけど。


膝とひざ下は、元々とあんまり違わない気がした。やる意味あった??と思った。でも少し薄くなったのかなー?程度。


劇的に5回目で、殆ど毛が消えた。生えてこなくなった。お陰で下半身の自己処理はせずに済んだくらい。ただ、vラインは薄めになったものの、生えて来るので、長さの調整などは必要になる。


元々しっかり濃く生えているVIOは効果を実感しやすいのだろう。ワキとかもいいと思う。しかし産毛の脚は微妙な感じだったかも。でも、生えていないのは爽快。



最初の全照射はびっくりするほど痛かった。泣きたくなるほどではなかったものの、汗をかいてしまった。痛みで息を飲んだ。

ブラジリアンワックスの痛みと同等だと感じた。

2回目以降は出力を上げて照射しているので、あんなに目隠しをして横たわっていてもねむることはなかった。

まあ、膝とひざ下は寝てしまいそうになった。なんにも感じないけど、冷却ジェルが伸ばされて少なくなると熱っ!ってなる。ジェルがたっぷりだと基本的になんの痛みもありません。


しかしながら、最終のiラインはジェルをしっかり盛ってくれていたのだろうか、寒くて凍えそうになった。中心付近まで細かに照射してくれるので、ジェルが広がり凍りそうなイメージ。最終日だけ、そんな風に思ったので、出力に合わせてジェルをのせてくれたのかもしれません。


oラインははっきり言って余裕です。毛なんて生えてんのかって思ったけど、剃毛してくれるってことはなんか生えてんだろうな。でも、最終回は痛みなんてちっともなかった。


出力レベルが最終回に向かい上がっていくことを思えば、やはり脱毛する毛質が変化したり、量が減るせいだろう。痛みを感じる頻度は本当に減った。

iラインも殆どが余裕だったもの。時々ひゃーってなるくらいで。


まぁこれで、煩わしいムダ毛処理が無くなったので、もっと早くにしたら良かったなあって思う。


脱毛前には綺麗に剃毛する必要があるのだけど、脚の剃毛を久々にしたらカミソリに不慣れすぎて両足に怪我をしてしまった。しかし、もうカミソリで怪我をすることもなくなるのだ。楽だな。いつもつるつる。


ただ、4〜50日先の脱毛予約をするのが割と難しかった。生理を避けて、休めるところで、予約に空きがあるってこと。私は平日がよかったので、予約に困ったことはありません。順調に終わった。安いからワキしようかな。楽そう。

旅に出たい。




壁の向こうの空

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結局、終電まで仕事をしていた。やっぱり休みを取らないと19:30に心斎橋なんて無謀だったんだなと。bacho×gezanは見れず。京都、神戸は予定もしていなかったので見るすべもない。


病院などの予約をしていた為に休めた3/7に映画を観た。大和カリフォルニア。それでほんのちょこっとだけ、登壇したgezanを観た。映画中には大事な場面で割と長く出演していた。


今にして思うと、私にも反抗期はあったものの、あんな感じになってないなと。喧嘩なんてしなかったし、お母さんに怒鳴ったこともない。私はもっとちっちゃかったときの方が世界を悲観的にみていた気がする。


もう疲れたとか、このまま溶けてなくなっちゃいたいとか、そんなことを考えながら生きていた。退屈で、子供くさくて、下らない小学生から中学生の時代に。決められたことが本当に理解できなかったから。


毎日行かなきゃいけない学校とか、くだらない諸々に、絶対入らなきゃいけない部活とか、守らなきゃいけないことになっている無理やりされた約束、親のいいつけとか、先生の主張とか。まあ、いろいろ。馬鹿らしいなと。子供扱いしやがってと、イラついていた。子供だったがな。子供の私の世界は狭くて退屈で窮屈で、息が詰まりそうで、未来も希望もなく、しょうもない、なんの実りもない、クソ田舎のクソくだらない毎日だった。



私は私の人生を生きている実感なんてなかった。子供はみんなそうなんだろうかね。都会の子供は少し違うのでは無いかと思っている。どうかわからないけど。


今も昔も子供の世界は狭くて窮屈で退屈で息がつまりそうなんだろうか。どこに行っても、どこへも行けないのだと感じるものなのだろうか。ちょっと私は絶望していた。自分の状況に対して。悲観的だったというか、気づいてしまっていたというか。


私は宇宙飛行士になどなれないし、突然夢見たいなことがたちまち起こるわけなんてない。こんなクソ田舎で。自転車でどんなに遠くへ出かけていっても、結局私は府内にいたんだから。どこまで急いで逃げ出しても、いつも私は本州にいた。なんて絶望。


どこへも行けず、どこにもたどり着けず、何にも見えず、何にも手に入れたりしない。このアホみたいな部屋で、何もせず生きていくのが嫌で仕方なかった。子供でいることに不満だった。



1人でなんでも決めて、1人でどんどん進んでいける立場になることを目指していたんだな。私は。