強制はしないよという姿勢

ライヴが延期や中止になるので、私は2月の奈良であったライヴ以降、ライヴハウスへは行っていない。

3月に行こうと思っていたのはFOALSとCBMDで、どちらも延期になった。

3/18にクアトロで開催予定のGEZANも延期になった。当初はGEZANは予定通りなのではないかと思ったのだけど、政府の自粛延長が理由なのかも知れない。

大阪のライヴハウスでの感染が大きく報じられるなかで、私の会社でもイベント参加自粛の通達が入った。テレワークとかこれまで進まなかったことが進められるのはいいことなのだと思うけれど、イベント自粛の通達は正直私を悩ませた。

多分、GEZANがライヴを開催したら私はマスクをガッチリして参加しただろうと思う。

確かにライヴハウスで感染しやすいのかも知れないが、検査をするように大阪市が呼びかけたためにあの日、ライヴへ行った人たちは全員検査を受けたというだけだと私は思っている。

全員自覚症状があるのかないのか知らないけれど、その辺を歩く私達を無作為に選出し、検査をすれば同じような確率で感染者が出るのではないかと勝手に思っている。でも、通院や入院している人のことを思うと、肺炎というくらいなのだから、呼吸が苦しく、喘鳴がして、激しく咳き込むとか苦しいのだろうし、その辺を平気な顔して闊歩している人たちはやはり健康体なのかも知れないな。闊歩している風に見えるだけで風邪気味の人は確かにいるのだろうけど。

親からもライヴハウスへ行くなと言われた。とはいえライヴハウスが悪いわけではない。完全な吊し上げとしか思えないほどだ。

でももし、私も行っていたとして、それから発症していたとしたら、今日までの行動範囲と誰に会ったとか、どこに行ったとか調査をされて、濃厚接触者を確定されて、オフィスとか取引先とか、会議した相手、打ち合わせの相手、飲みに行った人、サシ飲みで話し合った人とかも検査するようにいわれるのだろうかと考えると、ライヴへ行くのも二の足を踏んでしまう。悲しいけれど。

そしてGEZANは6月に振替公演をやってくれるので、ほっとした。

仕事のこととか周りの人のことを考えるとライヴへ行くのはよくないのではないかと考えることもあったが、いざ親に「しばらく行かないほうがいい」と明言された途端悲しくてちょっと泣きたくなった。そのくらい私は行きたかったことに気づいた。わかった行かない。とはそのとき言うことができなかった。ううう。と言っただけだ。もはや何も言っていないのと同じである。ううう。だなんて。

ライヴ以外にも音楽の楽しみ方は確かに多くあるのは確かなのだけど、ライヴでしか感じられないことも多くあって、そこに行って体感することがどんなに楽しくて、いい時間になることが多いかを考えるとこんなにイベントが中止、延期になってどんな犠牲を払っているのかなと思うと、嫌だなと思う。確かに仕方ないのは仕方ないけど、仕方ないのか。

 

どうでもいいけど、iPhoneのスピーカーとGEZANの相性があまり良くないと思っていて、いつも聴くときはwalk manかBluetoothのスピーカーかイヤホンで聴いている。どうでもいい話。

ライヴへ行きたい。音楽を聴いている時間が異様に増えてしまった。どうかしているのかも知れない。