堺にて…2日目

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まあ、結果としてはage factoryにも間に合わず。

話を聞いたところ、ぎうぎう過ぎて、観てるのも辛いくらいだったそうなので、多分私は入ることすら叶わなかったんだろうなと思う。


1日目のnot wonkもパンパンで入れなかったとも聞いたし、その場にいても見れてなかったのかもな。


私が観たのは

seventeen again、踊ってばかりの国原田郁子LOSTAGE、GEZANで、ほんとはゑでぃまあこん観たかったんだけど、LOSTAGEと丸かぶりで。こんな時にはLOSTAGE観なくても良かったんじゃないかと、ほんのちょっとだけよぎった。今もちょっと思っている。


さよならおもいでよ→窓→mfb→surrender→ひとり→goodluckでした。

やはりgezanとのイベントなので、mfbへの反応が違ったし、surrenderのアンセム感にびっくりした。確かにいい曲。

それに、ひとりはちょっと笑えるくらいにかっこよかったな。

そりゃもう笑えるくらいに。

一度ちゃんと観てほしい。ライヴで観るひとり。がどんなかを。あの、ギターのかき鳴らしを経ての、森の中を、がどんなかを。

多分、本人もどんなにかっこよく観えてるか理解できていないと思うけど。あの空間で客席から観てないとわかんないだろうし。

昨日は確かに吹き出しそうになった。バチっとハマりすぎてて。笑い出しそうになった。


野外なら耳栓は必要ないので、安心して聴ける。


直前が、原田郁子、さやさん、青葉市子の3人で、ほんとに素敵で可愛らしくて、ふわんふわんした後での3ピースで、なんかちょっと笑える。おっさん3人ですみませんって言ってた。


GEZANはもう、振り切ってた。いつもの、モッシュピットの余波が来ないと思われる場所にいたけれど、その限りではなかった。この日もbody oddやってくれて、報われた。


これがオレの政治ですって言ってた。結局、どこにも正解なんてないし、全ての人の上に平等に降り注ぐ平和なんてなければ、幸福だってない。

誰かの正義は、誰かにとっては悪でしかない。見方が違えば、正解も不正解もない。被害が少ない方、損害の少ない方、泣く人の少ない方、自分の腹が痛まない方。そうやって切り捨てて、選びとって、進むほかない。それが間違いなんかじゃないと思うし、今回は泣いてくれって時もある。

社会を動かすなんて大きな話じゃなくとも、数十人を全員心の隅っこまで納得して、理解して、素直に進める方向すら見つけることができない。そういうものだろう。全てを検証して行くには時間がなさすぎるし、労力にも見合わない。

そんなもんだろう。でも、そんなんでいいのか。そうやって紡がれてきたこれまでの日々があったからといって、これからも未来永劫それでいいのか。


私たちは考えるのを諦めた。いや、私は。


メッセージ性の強い曲や、映画や、作品は個人的にはあまり好きではない。強烈な印象で、叩きのめされる方が好きだ。

強い色で、塗りつぶされる視界に朦朧としながらも、鮮烈な記憶に寄り添われている。



私の頭上に水が飛んできた。とっさに私は、水を避けようと、ちょっと屈んだ。

勿論、水は私の頭にかかった。当たり前だ。頭上より注がれる水を避けるには、横方向へ移動することが有効なんだから。



これは、比喩ではありません。ライヴで水が撒かれたって言う話。水は降ってきたけど、水が入っていたであろうペットボトルはどこへ行ったんだろうな。


あの空間に身を置くことがどんなことかは、実際に行ってみないとわかんないと思う。あの、投げ銭箱に埋まって行くお札を見れば、音楽を聴くことにお金を払わないことが普通になったって、払いたいと思うところには、支払われるのだとわかると思う。


払わなくてもよいなら払わないだけで、価値がないなんておもっていない。自分で価値を決めるのも、音源じゃなくて、ライヴだから今ここで決めることができるんだろうな。


音源の価値は、自分で決めてくださいってなるよね。



耳がスッキリする。爽快なイメージ。


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